私の履歴書
基本的な履歴項目に加え、海外渡航や住所の移動、個人的なビッグイベントなども一収録しており、
かなりルースな構成になっています。万が一人事資料としてご利用の方はこちらをダウンロードしてお使いください。

氏  名    菅 原  純(すがわら・じゅん)     
生年月日  1966年(昭和41年)3月13日生ま
出身地   岩手県奥州市(水沢区)
現住所   東京都稲城市向陽台
コンタクト  E-mail: sugawara@uighur.jp
1984年3月  岩手県立水沢高等学校 卒業 。 成績不振により浪人する。 
1985年4月 青山学院大学文学部史学科入学。すばらしい立地条件(表参道)の常青寮(2006年閉寮)に入寮。バブル経済期の表参道~北青山の狂乱を目の当たりにする。
1986年8月 生まれて始めて海外(中国)に旅行。新疆、カシュガルでクルバン節に遭遇。 またホジャ・アファク廟を訪問し、カシュガル・ホジャ家にぼんやりと関心を抱く。
1987年3月  2度目の中国旅行。思い付きで北京より陸路で寧夏、甘粛、青海、チベットそしてネパールに至る。
1987年9月  懲りずに3度目の中国旅行。クルバン節のカシュガルを再訪し、クンジュラブ峠を越えパキスタンに至る。
1989年3月  青山学院大学文学部史学科東洋史コースを卒業。卒論ではMuhammad Sadiq KashghariのTazkira-i Khwajaganを、独語および英語抄訳(ショウ訳)に基づいて、その構成等のおそろしく拙い分析を試みた。常青寮を卒寮。 三鷹市上連雀に転居。
1989年4月  青山学院大学大学院文学研究科(史学専攻)博士前期課程入学。指導教授はインド・イスラム史の小名康之先生。 
1991年8月 3度目の新疆ウイグル自治区訪問。マザール(墓廟)巡りにうつつを抜かしつつ、カシュガル色満賓館の有名な「ジョンズ・カフェ」でTarikh-i amniyyaの講読にいそしむ。
1992年3月 青山学院大学大学院博士前期課程修了。3年もかけた修士論文では1864年の新疆ムスリム反乱を取り上げ、クチャのホージャの打ち出した「聖戦」の限界をこれまた拙く論じた。
1992年4月 青山学院大学大学院文学研究科(史学専攻)博士後期課程入学。 指導教授はインド・イスラム史の小名康之先生。 
1992年8月 育英会奨学金を活用し、欧州所在のチャガタイ語を中心とする東トルキスタン史料調査のため、ロンドン、オックスフォード、パリ、ルント、ウプサラ、イスタンブルを訪問。
1993年8月 青山学院大学大学院を休学。新疆イリ師範学院(中国新疆ウイグル自治区伊寧市)に留学。現代ウイグル語会話とイリの俗謡( qoshaq )を学ぶ。なお、2年間の留学資金はすべて日本育英会奨学金ローンをもってこれにあてた。 →データ
1994年8月  新疆ウイグル自治区社会科学院(アカデミー)に「訪問学者」として転学。Mirsultan Osmanow教授とHaji Nurhaji教授よりチャガタイ・トルコ語講読の指導を受けるとともに、新疆社会科学院図書館所蔵史料の調査を行う。 →データ
1995年9月 帰国。青山学院大学大学院に復学。 調布市深大寺元町は御塔坂下の野川近くに住む。
1997年7月  オーストラリア・シドニーに90日間滞在。The Mitchell Library (State Library of New South Wales)所蔵のPapers of G.E.Morrisonの調査を行うとともに、シドニーのウイグル人移民コミュニティーと交流。 
1998年3月 三菱財団助成、共同研究プロジェクト「東トルキスタン歴史文献に関する基礎的研究」の海外調査でベルリン、ハレ、ルント、サンクト・ペテルブルクを訪問。チャガタイ・トルコ語文献を中心とする歴史文献の調査を行う。 
1999年1月 青山学院大学大学院を満期退学。東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所COE非常勤研究員に採用さる。
1999年2月 麗しの深大寺を離れ北区の王子に転居。
2000年2月 科学研究費補助金(基盤研究A)海外学術調査「中央アジアにおける共属意識とイスラムに関する歴史的研究」の海外調査で新疆ウイグル自治区ホタン地区を訪問。同地区の民間叙事詩,19世紀史関連史跡,イスラーム聖者廟等の調査を行なう。
2000年4月 AA研での業務のかたわら東京外国語大学で研究言語科目「現代ウイグル人の言語と文化」を担当。
2000年8-9月 科学研究費補助金(基盤研究A)海外学術調査「アジアの文字と出版・印刷文化及びその歴史に関する調査・研究 ― デジタル化移行の基礎として ―」の海外調査で新疆ウイグル自治区(ウルムチ,カシュガル,ホタン」)訪問。印刷・出版事情ならびに民間叙事詩の調査を行なう。
2000年10月 ビルの谷間王子を脱出し郊外の新松戸に転居。同時に乗用車を購入しモータリゼーション達成。東京では感じられなかった身を切る北風の冷たさに、岩手から千葉まで一瀉千里であることを知る。
2000年11月 科学研究費補助金(基盤研究A)海外学術調査「アジアの文字と出版・印刷文化及びその歴史に関する調査・研究 ― デジタル化移行の基礎として ―」の海外調査(補足調査)で新疆ウイグル自治区再訪問。主としてコンピュータにおける現代ウイグル語環境について調査を行なう。
2001年4月 2000年度に引き続き東京外国語大学で研究言語科目「現代ウイグル人の言語と文化」を担当
2001年8-9月 科学研究費補助金(基盤研究A)海外学術調査「海外学術調査・フィールドワークの手法に関する総合調査研究」の海外調査で新疆ウイグル自治区,カザフスタン共和国訪問。近現代史に関する口碑資料調査等を行なう。
2002年1月 AA研任期満了。AA研の西ヶ原キャンパスから府中キャンパスへの移転に重なり、慌しい中の離任。
2002年2月 (財)国際情報化協力センター・国際情報化研究所主任研究員に着任。経済産業省委託の多言語情報システムの開発に取り組み、現代ウイグル語、ペルシャ語、トルコ語などマイナーな言語の電子辞書や簡易翻訳システムの構築を手がける。
2002年4月 引き続き東京外国語大学で研究言語科目「現代ウイグル人の言語と文化」を担当
2002年5月 トヨタ財団助成・個人研究の調査で新疆ウイグル自治区コムル市を訪問。職業別祈祷ハンドブックの調査を行なう。
2002年8月 (財)国際情報化協力センターの「情報化事情調査」のため中央アジア諸国と新疆ウイグル自治区を訪問。
2002年9月 AA研「内陸アジア文字資料オンラインリソースの構築」プロジェクトの海外調査で新疆ウイグル自治区カシュガル市を訪問。民間所蔵文献および職業別祈祷ハンドブックの調査を行なう。
2003年3月 (財)国際情報化協力センター主任研究員の任期満了。晴れて失業給付金をいただける身分に。
2003年4月 青山学院大学文学部史学科「東洋史・芸術史原典講読」(相模原キャンパス/月4/D126)の講義を担当。講義では懐かしのTazkira-i Khwajaganショウ訳を読む。久々に「青山文化」に接し母校の品の良さを再認識。
2003年4月 特殊法人情報処理振興事業協会(IPA)研究員。多言語情報システムの運用・研究に従事。
2003年8月 AA研GICASプロジェクトの海外調査でウズベキスタン(タシュケント、アンディジャン、フェルガナ、コーカンド)、クルグズスタン(ビシュケク、イワノフカ、オシュ)さらにテレク峠を越え新疆ウイグル自治区(カシュガル)を訪問。ドゥンガン語アラビア文字文献、民間所蔵文献およびカーディ文書関連の実地調査に従事。
2004年1月 IPA、独立行政法人情報処理推進機構に改組。ひきつづき研究員として多言語システムの運用モデル作りを担当。
2004年3月 科学研究費補助金(基盤研究A)海外学術調査「中央アジアにおけるウイグル人地域社会の変容と民族アイデンティティに関する調査研究」の海外調査でドイツ(ベルリン、ハレ)訪問。マルチン・ハルトマン収集写本コレクションを再調査。
2004年4月 引き続き青山学院大学文学部史学科「東洋史原典講読」(相模原キャンパス)の講義を担当。講義ではJ.ミルワードの香妃に関する論文を読む。
2004年8月 IPA任期満了。職がいよいよなくなり「緊急避難先」として東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所情報資源利用研究センターにてJST(独立行政法人科学技術振興機構)雇用枠で勤務。つかの間の平穏を楽しむ。
2004年11月 AA研GICASプロジェクトの派遣で連合王国訪問。ロンドン大学東洋アフリカ学部(SOAS)で開催された国際学会「中国・中央アジア間におけるウイグルの位置付け」にてプロジェクトで構築した新疆文献データベース2種のプレゼンを行うとともに、各国の新疆研究者と交流。
2004年11月 AA研GICASプロジェクト展覧会『線と点 アラビア文字の旅』開催。実行委員として全般的な企画から資料の手配、ディスプレイ、解説執筆等に忙殺されると同時に、学術とアートの両立なんて無理(欺瞞)ではないかとの思いを大変強くする。
2004年12月 箱根にて国際学会「18-19世紀新疆史関連資料の諸相」開催(オーガナイザー)。当会は国際レヴェルでは初の新疆史料に関する国際会議。世界中から参集した新疆史研究者たちととことん史料について語り合う幸せを堪能。
2005年3月 科学研究費補助金(基盤研究A)海外学術調査「中央アジアにおけるウイグル人地域社会の変容と民族アイデンティティに関する調査研究」の海外調査で新疆・烏魯木斉市を訪問。主として古書(現代ウイグル語)を収集するとともに新疆大学人文学院でカシュガル・カーディ文書について公開講演。若い学生たちと交流の機会を持つ
2005年4月 引き続き青山学院大学文学部史学科「東洋史原典講読」(相模原キャンパス)の講義を担当。講義ではG.JarringのPrints from Kashgharを読む。
2005年8月 奈良県NFSの助成プロジェクト「中央アジアのイスラーム聖地の研究 ―フェルガナ盆地を中心に―」の派遣で新疆・カシュガル市訪問。カシュガル市周辺のイスラーム聖者廟26座を巡り聞き取り調査を実施。
2005年9月 雇用予算枠の変更に伴い、東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の「産学官連携研究員」に採用さる。当面のミッションはアジア言語情報資源の所在調査。
2005年9-10月 AA研「内陸アジア文字資料オンラインリソースの構築」プロジェクトの派遣でカザフスタン・アルマトゥ市、新疆ウルムチ市・ハミ市を訪問。カザフスタン東洋学研究所主催の国際学術会議「カザフスタンにおけるウイグル学-伝統と変革」にて日本所在新疆関連史料について報告すると共に、新疆ハミ地区のイスラーム聖者廟20余座を巡り聞き取り調査を実施。
2005年11月 東京水道橋にて国際学会「フェルガナおよび新疆のマザール」開催(オーガナイザー)。当会は対象地域の研究者、日本、アジア、欧米研究者が一堂に会する得がたい会議となる。菅原は会議の準備(会場、プログラム、ポスター、各種手配、ゲストの世話、当日の総合司会等)に忙殺され、肝心の自分の報告に手が回らずこの上ない挫折感を味わう。
2006年1月 結婚。妻はアフリカのバントゥ諸語の記述を専門とする言語学者。
2006年2月 新松戸からAA研の川向こうの稲城市東長沼に転居。調布を辞して以来6年ぶりの多摩地区への帰還となる。穏やかで美しい稲城の里山(南山)に魅了され、やっぱり多摩がいいなあと存外の幸福を実感する。ここは天国か?
2006年3月 トヨタ財団助成「新疆・フェルガナ両地域におけるマザール文書の調査・集成・研究」プロジェクト(代表者:菅原)の活動の一環として新疆ウルムチ市、ハミ市を訪問。プロジェクトメンバーとじっくり打ち合わせの機会を持つとともに、新疆ハミ地区のいくつかのマザールをめぐる。
2006年4月 引き続き青山学院大学文学部史学科「東洋史原典講読」(相模原キャンパス)の講義を担当。講義ではSkrine&Nightingale共著のMacartney at Kashgarを読む。あわせてこの年は青山スタンダード科目「歴史と人間」を担当。前期は「イスラームとイスラーム地域入門」、後期は「中央アジア史への招待」と題し講義。
2006年8月 文部科学省科学技術振興調整費「アジア言語情報技術資源ネットワークの構築:言語資源に関する所在調査と入力システム開発」の派遣で新疆カシュガル(西部)、ウルムチ(区都)、ハミ(東部)を訪問。主として電子化言語資源の調査に従事し、合い間に各地のイスラーム聖者廟の調査をおこなう。
2006年10月 科研「内陸アジア歴史資料オンライン・リソースの構築」プロジェクト(代表者:菅原)活動の一環として7th Annual Conference of the Central Eurasian Studies' Society(合衆国Ann-Arbor市Michigan大学)参加。日本人研究者で組織した「出前パネル」Historical Roles of Islamic Saints in Central Asiaにおいて、新免康氏との共同研究"A Historical Source of the Afaqi Khwajas under Qing Rule: On Scroll Prov. 219 of the Gunnar Jarring Collection, Lund University Library, Sweden"を報告。といっても菅原はパワーポイントを操作しただけで達成感はいまひとつ。
2007年3月 トヨタ財団助成「新疆・フェルガナ両地域におけるマザール文書の調査・集成・研究」プロジェクトの活動の一環として新疆ウルムチ市を訪問。2008年ウルムチで開催予定の国際学術会議に関する打ち合わせの機会を持つとともに、新疆大学人文学院所蔵マザール文書の調査を行う。
2007年4月 引き続き青山学院大学文学部史学科「東洋史原典講読」(相模原)の講義を担当。講義ではJ.HultvallのMission and Change in Eastern Turkestanを読む。
2007年6月 29日に長男誕生。「虎之助」(愛称トラちゃん)と命名。世界観が決定的に変わるとともに、世の「お父さん」がみな尊敬に値する存在だとという常識を遅ればせながら学ぶ。
2007年8月 AA研言語研修「現代ウイグル語」開講(本研修は同時に東京外国語大学の集中講義を兼ねる)。5週間150時間におよぶ「ブートキャンプ」(ちょうどこの時分の流行語)にネイティヴ講師として招聘したAysima Mirsultan(恩師Mirsultan令嬢)ともどもその準備などに疲労困憊したものの、このうえない達成感と「青春」を実感する。
2007年10月 科研「内陸アジア歴史資料オンライン・リソースの構築」プロジェクト(代表者:菅原)活動の一環として8th Annual Conference of the Central Eurasian Studies' Society(合衆国Ann-Arbor市Michigan大学)参加。中見立夫、James Millward両教授のご協力のもと組織されたパネルLaw on the Imperial and Cultural Frontier: 19th-20th Century Legal documents from Xinjiang and the Qazaq Steppeにおいて、"Tradition and Adoption: The Sinicization of Legal Documents in Turkic Traditional Society in Provincial Xinjiang (1884-1955)"を報告。
2008年4月 AA研産学官連携研究員の任期満了。再び失業給付をいただきつつ、育児と(まったく収入に結びつかない)プロジェクト活動を中心に忙しくもお金のない新年度が始まる。
2008年4月 引き続き青山学院大学文学部史学科「東洋史原典講読」(相模原)の講義を担当。講義ではLady MacartneyのAn English Lady in Chinese Turkestanを読む。
2008年5月 トヨタ財団助成「新疆・フェルガナ両地域におけるマザール文書の調査・集成・研究」プロジェクトの活動の一環として新疆ウルムチ市を訪問。2008年ウルムチで開催予定の国際学術会議に関する打ち合わせの機会を持つとともに、新疆大学人文学院所蔵マザール文書の調査をふたたび行う。滞在中はずっと風邪で咳が止まらなかった。
2008年8月 トヨタ財団助成「新疆・フェルガナ両地域におけるマザール文書の調査・集成・研究」プロジェクトの全面資助による国際学術会議"Studies on the Mazar Cultures of the Silkroad"をウルムチの新疆大学学術交流中心(紅湖ホテル)にて開催(世話人:菅原&Rahile Dawut)。北京オリンピック開催前後のテロ騒ぎで開催が危ぶまれたものの何とか開催。4日間の日程で約20報告、のべ80余名の出席者を集める画期的な会議となる。会議では例によって運営準備に忙殺されるも、過去の教訓に学びしっかりchair, discussantそして報告をこなす。すばらしい会議。
2008年9月 科研「内陸アジア歴史資料オンライン・リソースの構築」プロジェクト(代表者:菅原)活動の一環として9th Annual Conference of the Central Eurasian Studies' Society(合衆国WashingtonDC, Georgetown大学)参加。James Millward教授組織になるパネルModern Historiography of Xinjiang and the Uyghurs: Beyond the Chinese Sourcesにおいて、“Waqf Litigation at Kashghar: A Case Study on Islamic Lawsuit Procedure under Chinese Rule”を報告。
2009年4月 東京外国語大学外国語学部「現代ウイグル語」(言語学特殊研究)の講義を担当。
2009年4月 引き続き青山学院大学文学部史学科「東洋史原典講読」(相模原)の講義を担当。ところが折からの歴女ブームのあおり(かどうかは不明)?で東洋史専攻の学生が激減し講義中止に。つくづく外国史(とりわけ「イスラーム地域」史)の不人気を痛感する。
2009年10月 科研「内陸アジア歴史資料オンライン・リソースの構築」プロジェクト(代表者:菅原)活動の一環として10th Annual Conference of the Central Eurasian Studies' Society(カナダToronto大学)参加。”End of the Age of Epics?: Historical Role of the Oral Literature in Central Eurasia and the Neighborhoods”と題するパネルを組織し、ホタンの英雄殉教歌謡に関する小論“A Heroic Legend of "Shahidane Khotan": Genesis, and Developments of the Abdurrahman Dastani.”を報告。
2009年12月 科研「内陸アジア歴史資料オンライン・リソースの構築」プロジェクト(代表者:菅原)活動の一環として中国広州訪問。中山大学の研究者と情報交換を行うとともに、この時点で日本からは遮断されていたウルムチへの電話連絡などを通じて、一昨年開催されたウルムチ会議の成果論集の編集作業に取り組む。
2010年4月 引き続き東京外国語大学外国語学部「現代ウイグル語」(言語学特殊研究)の講義を担当。
2010年4月 引き続き青山学院大学文学部史学科「東洋史・芸術史原典講読」(相模原)の講義を担当。テキストは中央アジア史料の英訳アンソロジー、チェレビー旅行記英訳など。
2010年6月 主催者による招聘(一部日程は科研「中国新疆ウイグル自治区におけるイスラーム聖地に関する基礎的研究」プロジェクト(代表者:菅原)による出張)でColloque international, Lecteurs et copistes dans les traditions manuscrites iraniennes, indiennes et centrasiatiques. (Université Sorbonne nouvelle Paris 3)参加。"Models and realities: Format matters in real estate deeds under the legal pluralism in provincial Xinjiang"と題する、新疆の契約文書書式集を扱った報告を行う。10年ぶりのパリで頭もお腹もいっぱいに。
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