所  載 『アジ研ワールド・トレンド』2005年8号、43-46頁。
HTML版公開 2008年11月16日
最終更新 2008年11月16日

「ディスコ」にいこう!
「エムディ、ディスコカ マンガイリ(さて、ディスコに行こう)」

一瞬私は耳を疑った。ここは中国・新疆ウイグル自治区はホタン地区の片田舎。1日中いくつかの調査地をかけめぐり、さあ宿へ帰ろうかという時のことである。こう言うM君は10年来の付き合いで気心も知れている。さては今日の打ち上げの会場を考えていてくれたのかな。しかし、ビールを飲むならもっと静かなところでいいじゃないか、などと思ってそう言うと、M君はかぶりをふって「そうじゃない」と言う。ビールなどそこにはないと言うのだ。「まあ、自分で見てごらん。きっと気に入るから」-彼はそう言ってにやりと笑った。
ホタン・オアシスの街道をひた走り小一時間、車はようやく一見して宗教施設と分かる大門(ダルワザ)の前に停車した。おりしもその日は金曜日(ジュマー)で、多くの地元住民が参集し、物売りが屋台を出し、門前まさに市を為す有様だった。

M君に案内されて門内に入ると、そこには敬虔な善男善女が多数。普通モスクは男性だけが入ることが許されているはずだが、と考えて周囲を見渡してやっと合点がいった。先ほどの大門は金曜モスク(ジャーミー)のそれではなく、モスクを含む大きな聖者廟(マザール)コムプレックスの大門だったのだ。広大な敷地内には庭園、モスク、墓地、そして聖者廟本体と修道場(ハーンカー)が配置されており、老若男女が思い思いの場に集っている。伝統的な東トルキスタンの聖者廟の風景がそこにはあった。



参拝者でにぎわうホタン地区の某マザールの金曜日


墓地では親類縁者が故人の墓の前に佇み祈りを捧げ、聖者廟の外では男女わけ隔てなく正座して廟のドーム(グンバズ)にむかって祈りを捧げ、そして狭い聖者廟の「本尊」では信徒がぎゅうぎゅう詰めになりながら熱心に管理人(シャイフ)の話に耳を傾けている。これはこれで見ごたえがある。でもはたして「ディスコ」と言っていいのかしらん。そう思ったところ、唐突に修道場の方から厳かな歌声が耳に入ってきた。



マザールの「本尊」での礼拝風景。「本尊」内部は男性のみが入ることができる。


修道場では車座になった20人ほどの男性信徒たちが、体をゆっくり揺らしながら朗々と歌を歌っている。それを取り囲むようにして、さらに多数の男性がそれに見入っている。歌の内容はアラビア語の祈祷句らしく、聴いた感じは歌というよりも「声明」に近い、あるいは「長嘯」と言ったものか。聴いていると自然厳かな気分になる不思議な旋律である。こうした歌が暫く続き、やがて調子が変わった。ひとりの男性が一定の旋律に載せて軽やかに歌い、それに他の信徒が「ウーッ」と声を張り上げていわば「合いの手」を入れていくのである。「合いの手」は次第にその間隔を狭め、やがて車座の信徒たちは立ち上がり、「合いの手」を拍子に旋舞を始める。「ディスコ」が始まったのだ。



「ディスコ」風景。車座になって歌い踊る信徒たち。
これは凄い、本の挿絵から飛び出して来たような典型的なズィクル・サマー(イスラーム神秘主義の儀礼行為。サマーは舞踏などによって陶酔=神との合一の境地に達することを目的とする)だ!この種の儀礼がかつて行われていたことは知っていたが、まさか自分がその場に立ち会って一部始終を見ることが出来ようとは思わなかった。私はずうっとその光景をヴィデオカメラに収めながら、「すごい、すごい」と、すっかり興奮していた。

男性たちは「ウーッ!」という声を上げながらくるくる回り踊る、それはカシュガルのイード・ガーフ広場で年に2回踊られるサマーと基本的に同じで、360度の回転を続けるのではなく、180度で反転を繰り返すかたちの旋舞である。ときどき、「エイ、アッラー!」とかけ声を発する人もいる。件の男性は声を張り上げ歌い続け、信徒たちは旋舞にすっかり陶酔しているように見受けられた。この旋舞は15分ぐらい続き、やがて何か合図でもあったのか信徒たちは踊りをやめて再び車座になって座り、神妙にひとりの歌声に耳を傾けていた。-これがホタンの「ディスコ」のすべてであった。



参拝客を前に聖者の奇跡譚を披露する「語り」
M君はこの聖者廟の近所の出身で、小さいころから毎週こうしたズィクル・サマーをながめて来たのだという。ここへ私を連れてきたのは、こういう儀礼がいつまで続けられるか分からない、今のうちに見せておいた方がいい、という、彼なりの友人への配慮かもしれなかった。その配慮が私にはとても嬉しく思われた。

おそらく、近年不寛容の度合いを深めている新疆の宗教政策に鑑みるならば、こうした多数の人が聖者廟に集い踊り興ずる行為は「非合法活動」と看做される可能性がある。世界的に有名な「ステージ芸」としてのウイグル舞踊はよろしい、あるいは大都会ウルムチのナイトクラブでスノビッシュなウイグル人たちが(本当の)ディスコに興ずるのは構わない。おまえたちはただ笑って踊っていればいい、ウイグルは何と言っても「踊る民族」なのだからーと。しかし、古来受け継がれてきた聖者廟を舞台とする儀礼や文化は、当局にとっては好ましからざる「不正常宗教行為」なのである。

2001年に地区政府によって設置されたマザールの参拝規則。
参拝者を許可制にしたり、マザールでの宗教活動を制限するなど細かな規則が記されているが、
撮影時にはそれが徹底されているようには見受けられなかった。

ホタンの「ディスコ」を目の当たりにして私が感じたのは紛れも無く「伝統」に立脚した骨太なホタン人の文化のエネルギーであった。そこにはこずるい恣意もちまちました技巧も無く、ただただまっすぐに神に対する彼らの思いを見て取ることが出来るのである。少なくとも私は、定式化されたいわゆる「ウイグル芸術」よりはこちらの方が心に響くものがある。これはあくまでも好みの問題に過ぎないかもしれないけれども、「芸術」は結構、都会のディスコもご遠慮したい。でも許されるならば、ホタンの「ディスコ」は何度でも行きたいと心から思う。


 「アダシュ、ディスコカ マンガイリ!(友よ、ディスコに行こう!)」



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