所  載 『イスラム世界』68号 (2007年3月)、74-82頁。
HTML版公開 2008年11月16日
最終更新 2008年11月17日

研究動向
第7回米国中央ユーラシア学会(CESS)年次大会
( Seventh Annual Conference of the Central Eurasian Studies' Society )



会場のMichigan League


はじめに

2006年9月28日より10月1日までの4日間、合衆国ミシガン大学(ミシガン州アナーバー市)で第7回中央ユーラシア学会年次大会(Seventh Annual Conference of the Central Eurasian Studies' Society)が開催された。米国中央ユーラシア学会(略称CESS)は組織から10年に満たない若い学会ながら、65カ国、1100余名の会員を有し、中央ユーラシア地域研究においてはおそらく現時点で世界最大の規模を持つ学会である 。

今回筆者は偶々当学会の大会としてははじめて日本人が企画し持ち込んだパネル・セッションの一員として参加する機会を得た。本稿はその報告であるが、なにしろ日本での学会に比しはるかに大規模の学会であり、筆者は60余のパネルのうち僅か3つに参加したに過ぎない。よって本稿はまずCESSと年次大会の概要を、いくぶん運営面に注目し紹介することとしたい。ついで、ごくごく狭い分野の話ではあるが、筆者の専門である中国領中央アジア(新疆)に関連した3つのパネルにつき紹介を試み、若干の感想を述べたいと思う。


1.米国中央ユーラシア学会(Central Eurasia Studies Society: CESS)

CESSは北米をその活動のベースとし、中央ユーラシアの歴史、言語、文化、現代国家と社会に関する学術領域を対象とする。「中央ユーラシア」の指す領域は人文的にはテュルク、モンゴル、イラン、コーカサス、そしてチベット、地理的には黒海、クリミア、コーカサスをおおまかな西限とし、ヴォルガ地方中部を経て中央アジア、アフガニスタン、シベリア、モンゴル、そしてチベットと広大である。

機関誌としては中央ユーラシア研究レヴュー(Central Eurasia Studies Review: CESR)があり、年2回紙媒体版とインターネットで参照可能な電子版とが発行されていたが、今年2月6日配信の学会事務局による通知によれば近刊予定のVolume 5 number 2をもって紙媒体版は刊行を停止し、今後は電子版のみの配布となるとのことである。これはCESSが中央アジア地域研究の専門誌である『中央アジア・サーヴェイ(Central Asia Survey: CAS)』誌とあらたに公式な連携をとることとなり、それに伴う措置のようである。これまでCESRで毎号掲載されていた書評はすべてCASの方に引き継がれ、CESRは学会動向や彙報を中心とする「情報誌」としての性格を強めていくことと思われる。

「情報誌」にいわば「格下げ」の予定とはいえ、一定のボリュームの機関誌を定期的にインターネットで公開していくというのはなかなか太っ腹である。わが国の場合は当『イスラム世界』はじめ、学会費を機関誌代としている関係上、なかなかそういうことは実施できないのが現状である。これはCESSがインターネット普及後に組織され、最初からこうした媒体の利用を前提としている若い学会であるがゆえの強みなのであろう。なおウェブページでは学会員の名簿も公開されているが、これは個人情報保護法とのからみでそうした情報の取り扱いが必要以上に厳格になってきているわが国とは些か事情が違うようである。

CESSの組織は会員の公選で選出される9名の理事(Executive Board member)と事務局3名が理事会を構成しており、会長は2名、年次大会のホストを勤める名誉職と思しき「会長」と、選挙で選ばれる会長(President-elect)があり、2007年2月現在の”President”はAlexander Knysh(ミシガン大)、そして”President-elect”はLaura Adams(ハーバード大)である。事務局は学会が組織されてから現在までハーバード大学のHarvard Program on Central Asia and the Caucasasに置かれ、ディレクターのJohn Schoberleinを中心に合計3名の"Officer"が会の実際の運営を取り仕切っているが、これも近々マイアミ大学(オハイオ州)のHavighurst Centerに引き継がれ、同大学のKaren Dawishaがディレクターを務めることになっている。


2.第7回年次大会(ミシガン大)の概要

2.1. CESS年次大会

年次大会はCESSの基幹をなすイベントであり、今回で7回を数える。これまでの開催地は、第1回から第3回まで連続でウィスコンシン大(マディソン)で開催され、第4回がハーバード大、第5回がインディアナ大(ブルーミントン)、第6回がボストン大、そして今回の第7回大会がミシガン大(アナーバー)でそれぞれ開催されている。なお次回の第8回はワシントン大学(シアトル)、第9回はジョージタウン大学(ワシントンDC)、第10回記念大会はビシュケク(クルグズスタン)で開催の予定だと言う 。


2.2.会場と施設

今回の大会はミシガン大学の会議施設であるMichigan Leagueで開催された。ホストは会長を務めるKnyshの所属であるミシガン大のCenter for Russia and East European Studies、 Center for Middle Eastern and North African Studies、Department of Near Eastern Studies、International Institute、College of Literature, Science and Arts Office of the Vice President for Researchなどの共同開催となっている。実際の事情は分からぬものの、少なくとも形の上で今回の大会はミシガン大学の複数の学部、セクションが連携して開催する形をとったようである。

会場は日本で言うならば本郷や神保町の学士会館のようなつくりで、レンガ造りの重厚な趣のある3階建ての建物にロビー、売店、カフェ、ボールルーム、小劇場そして複数の会議室等が配置されてある。CESSでは3つのフロアの6室を全日程で使用する会議場とし、それ以外にレセプションおよびディナーの会場としてボールルームを、keynoteなどにはやや大きめのスペースである劇場や他の場所を確保していた。会期中は同じ建物の中で他の集会やダンスパーティなども賑々しく開催されていたが、それが気にならぬほどスペースの取り方としては十分な余裕があるように見受けられた。会場2階のコンコースに設置された受付の前には参加者が自由に使える掲示板や事務局からのアナウンスの掲示板が設置されるなど、その周到な配慮には感心したが、これも参加者数が(日本のそれに比べ)桁違いに多く、そういうものが必要不可欠となる合衆国の学会ならではのものなのであろう。さらに受付右の部屋では中央ユーラシア研究者にはおなじみのM.E.Sharpほか複数の出版社、古書店が出店していたし、3階では参加者が持参したPCを自由にネットワークに接続できるスペースが設けられており、1日に最低でも1度はメールを読まなければ落ち着かない筆者のごとき小心者にはとてもありがたいサービスであった。

ちなみに会場の西側のエントランスの前にはチベットの仏画があしらわれた方形のテントが設営され、"CESS 7th Annual Conference"と大書された看板が掲げられてあったが、こういう洒落っけのある部分はいかにもアメリカらしいおおらかさがある。


2.3.スケジュール、セッションとパネル

今回の大会の会期は2006年9月28日(木曜日)から10月1日(日曜日)までの4日間となっているが、初日は夕刻のレジストレーションとレセプションだけであるし、最終日は午前中の2セッションのみであるから、実質的にパネルセッションは2日半に渡って開催されたことになる。1日の構成は基本的に1セッションあたり105分の時間が与えられ、それぞれブレイクをはさんで午前中に2セッション、午後に1セッションの構成で、セッションの総数は60あまり、パネル数は200あまりと、報告数から見ると実ににぎやかな大会であった 。 こうした多くのパネル、報告をさばく事務局の苦労はいかほどのものであったろうか。

セッションは分野別に3種類(HC: History and Culture, PO: Politics, SO; Social Issues)のコード番号が振られ、HCが16、POが23、SOが22の合計61のセッション構成となっており、人文系よりは社会科学系のセッションが圧倒的に多かった。これは現在の研究のトレンドを忠実に反映したものと言えるだろう。


3.中国領中央アジア(新疆)関連の3パネル

今回の大会では、筆者にとっては大変喜ばしいことに、中国領中央アジア(新疆)に関連したパネル・セッションが例年に無く多く開催された。関連する報告を含むセッションは5つにのぼり、そのうち3つはセッション名に「ウイグル」、「新疆」、「中国領トルキスタン」といった言葉が盛り込まれたパネルであった。これは当地域に関する関心がCESSにおいても確実に高まりを見せていることを反映したものと思われ、当該地域の研究に携わるものとしては大変意を強くした次第である。以下、それらのうち筆者が出席した3パネルを紹介する。


3.1. 「中央アジアにおけるイスラーム聖者の歴史的役割」(HC-09: Historical Roles of Islamic Saints in Central Asia

当セッションは、前述の通り、当学会としては初めて我々日本人研究者が企画・組織し持ち込んだパネルである。ここでいう「イスラーム聖者」とは17-19世紀の中央アジアで宗教・政治の両面で活躍したいわゆるカーシュガル・ホージャ家(Makhdum-zada)のアーファーク統(Afaqiyya)をさし、当セッションの3報告はいずれもその系統の聖者の活動に関するものを取り揃えた。なお、本セッションのチェアは小松久男、ディスカッサントは澤田稔の両氏にそれぞれお願いした。
 河原弥生「西トルキスタンにおけるホージャ・ハサンの生涯と諸活動(The Life and Activities of Khwaja Hasan)」はホージャ・アーファークの子の一人であるホージャ・ハサンに注目した研究である。ウズベキスタンで新たに発見された巻物状の史料に依拠し、既存のホージャ・ハサンの複数の聖者伝写本との対照のうえ新史料の史料学的位置づけを行うとともに、西トルキスタンにおけるアーファーク統ホージャの活動の一端を明らかにしたものである。

新免康・菅原純「清朝治下のアーファーク統ホージャに関する史料-スウェーデン、ルント大学所蔵グンナー・ヤーリング・コレクションProv.219について(A Historical Source of the Afaqi Khwajas under Qing Rule: On Scroll Prov. 219 of the Gunnar Jarring Collection, Lund University Library, Sweden)」もまた巻物状の新史料に関する研究である。ファトワー、系譜、そして伝記というユニークな体裁を持つ当史料を、18世紀の清朝による東トルキスタン征服の事情を伝える伝承部分と、その伝承部分を含む全体の構成という二面からその史料的価値を論じた。

塩谷哲史「ユースフ・ホージャ・カーシュガリーの反乱(The Rebellion of Yusuf Khoja Kashghari
)」は、19世紀初頭にカージャール朝に対するトルクメンの抵抗運動において一定の役割を演じたユースフ・ホージャの活動をカージャール朝年代記から素描したものである。

これら3報告はいずれもこれまで未知の史料を用い、中国史料や『タズキラ・イ・アズィザン』などごく種類が限られていたホージャの歴史研究に新たな光を当てたものであると言うことが出来るであろう。なかでも河原の研究は東西トルキスタンで等しくホージャ・アーファークの伝承と権威とが根を下ろしていた事実を明確に提示し、アーファーク統を軸とした東西トルキスタン(就中カシュガルとフェルガナ)歴史像の新しい可能性を示しえた記念碑的な研究として特に価値が高い。  

最後に3報告に対し、長くわが国でホージャ研究に携わってきた澤田稔が包括的なコメントを述べた。アーファークとその子孫たちが獲得しえた求心性、カリスマ、権威の源はいったい何であるか、他の聖者一族とアーファーク統を隔てるものは何なのか、という根本的な問いかけが澤田のコメントの核心である。この問題が今後のホージャ研究の重要な検討課題のひとつであることは疑いなく、それを示しえた一事をもってしても、当パネルの組織は有意義であったと言えるのではないか。

このセッションの報告に対するフロアの反応は大変好意的であり、わが国の一次史料を駆使した研究手法に対する高い評価を実感することが出来たのは幸いであった。


3.2. 「新疆における政治と文化」(PO-01: Politics and Cultures in Xinjiang

当セッションは事前にアナウンスされていたAblimit Baki(英)、Ablet Kamalov(カザフスタン)の報告がキャンセルとなり、結局報告はAmir Saidula(英)のみ、それにチェアのArianne Dwyerの2人でセッションを進めるというまことにさびしいものになった。

Amir Saidula「中国新疆のタジク族-歴史的、文化的アイデンテティの形成」(Tajiks of Xinjiang China: Formation of Historical and CulturalIdentity)は中国の少数民族であるタジク族の歴史・文化的位置について報告を行ったものである。 歴史的にワハン、サリコルと呼ばれた中国の「タジク族」とタジキスタンの「タジク人」の異質性が歴史的にも後者により明確に認識されていたこと、また今日の「タジク族」の立場がドミナントな文化(中国、タジキスタン)の狭間できわめて微妙な立場に置かれていることなどが指摘されたが、目新しい情報もなく、やや新鮮味に欠ける報告であった。チェアのDwyerが議論を何とか実りあるものにしようと孤軍奮闘していたが、質疑応答も一般的な事実関係の確認に終始し、いささか消化不良の感があった。


3.3. トルキスタン/中央アジアにおけるウイグル民族主義の未来(PO-04: The Future of Uyghur Nationalism in Turkistan/Central Asia

当セッションは文芸、放送などの文化的諸表象の分析を通じ「ウイグル民族主義」の動向把握を目的とするものであった。

Dilber Kahraman Thwaites「ウイグル文芸における女性の力」(Women of Power in Uyghur Arts and Literature)は伝統的な文化的諸表象と劇作家ズヌン・カーディル(1912-1989)の諸作品を主たる分析対象として、時代ごとの文化潮流、ナショナリズムの発露としての女性(ヒロイン)像を通観しようと試みたものであった。報告者Thwaitesによればウイグル人の歴史には女性英雄と強い女性が活躍する伝統があり、ズヌン・カーディルの諸作品に描かれるそれぞれの女性像は、その伝統と民族主義の混成が見られると言う。

Ondrej Klimes「現代ウイグル・アイデンティティの創造- 1930年代新疆におけるソヴィエト民族政策の受容」(Creating Modern Uyghur Identity: Adoption of Soviet Ethnic Policy)は1930年代すなわち盛世才時代の民族政策を素描し、ウイグル人の民族文化創出におけるスターリン体制化のソ連の民族政策の影響を論じたものである。

Rian R. Thum「ウイグル人の歴史語りにおけるアーファーク・ホージャ廟(The Apaq Khojas Shrine in Uyghur Historical Discourse)」はウイグル人歴史作家Abduweli Eliのマフドゥミ・アーザムやホージャ・アーファークといったカシュガル・ホージャ家の聖者たちの活動を扱った一連の歴史小説を取り上げ、そこからイスラームと異教徒支配の間に立たされているウイグル民族主義の具体相の把握を試みたものである。

Arinne M. Dwyer「民族主義の一時に1つの世界 -ウイグル亡命者社会における言語の純化 (Nationalism One World at a time: Language Purification in the Uyghur Exile Community)」は合衆国議会の出資で設立された「自由アジア放送(Radio Free Asia: RFA)」の現代ウイグル語放送の言語分析を試みると言うユニークな研究で、新疆現地のラジオ放送の言語を比較対象に置き、RFAの現代ウイグル語が音声、語彙などの各面において明らかに新疆現地のそれとの差別化を志向している点を明らかにした。実際RFAの現代ウイグル語は筆者自身が知りえた範囲でも「中華人民共和国(Junggo Xelq Jumhuriyiti )」を「ヒタイ共和国(Khitay Jumhuriyiti)」と言い換えたり、「新疆(Shinjang)」に代えて「東トルキスタン(Sherqiy Turkistan)」を用いるなど、あからさまに現在新疆で用いられていることばとは一線を画しており、それが言語学者の手で明瞭に分析・提示された点はとても興味をそそられた次第である。

以上のように当セッションはウイグル人をめぐるさまざまな文化の様態にアプローチしており、今後の議論の発展を期待させる極めて興味深いものであった。ただ、難を言えばいくつかの報告はマテリアリティが極めて乏しく、大筋は了解できるものの、その根拠となる具体的な情報の提示が十分ではなく、結果的に新しさを十分に感じ取ることが出来なかった。また当セッションの議論の前提となる「ウイグル民族主義」についても、実際それがどういうものであるかという点を置き去りにして、いわば自明、既定のものとして各報告者が持論を展開している点は今後の検討課題を残したと言えるだろう。Dwyer報告のタイトルに用いられた「一時に1つの世界(One World at a time)」はヘンリー・ソローのアフォリズムの借用であろうが、当地域とウイグル人の「現在」をめぐる近年の議論は錯綜しており、依然ひとつの「世界」で建設的な議論がなかなか展開しにくい状況にある。これからの議論をより建設的に積み上げていくためには、この中国領中央アジア地域の研究に携わるさまざまな立場の研究者が、それぞれ謙虚に自分たちの術語を再点検し、同じ「世界」で全力で議論を尽くせるような状況を作り出していく必要があろう。

これらセッションのほかに、筆者は参加がかなわなかったが「中央アジアにおけるナショナル・アイデンティティの先駆-19世紀から20世紀初頭(HC-05: Precursors of National Identity in Central Asia, 19th to Early20th Century)」、「植民地時代の中国領トルキスタン(HC-07: Chinese Turkistan in the Colonial Period)」などのセッションで関連するテーマの報告が行われた。


4.おわりに

大変駆け足ではあったが今回のCESS大会での見聞は以上である。 今回は時間が相当限られていたこともあり、参加したいセッションにも参加できず、じっくり話をしたい研究仲間とも簡単な挨拶に終わってしまい、些か心残りがあったのは否めない。

しかし、合衆国における中央ユーラシア研究の最前線の空気を肌で感じ、かつ中国領中央アジア研究が今どういう段階にさしかかっているか、当面の研究課題は何か、という現状への理解が些かなりとも深められたことは私にとって収穫であった。 また、前述の通りわが国の一次史料に依拠した手堅い分析手法が高い評価を受けていることを、手ごたえとして実感できたことも今後の取り組みの良い励みとなった。 月並みな言い方ではあるが、大変学ぶことの多い学会参加であった。

最後に今回の筆者のCESS参加は筆者が代表を務める日本学術振興会・科学研究費補助金(基盤研究B、海外学術調査)「近現代テュルク諸語文献を中心とする内陸アジア歴史資料リソースの構築」研究プロジェクト(2006-2010)活動の一環として実現したものであることを付言しておく。

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