所  載 『歴史と地理 世界史の研究』2010年2月号(山川出版社)
HTML版公開 2010年5月5日
最終更新 2010年5月5日

(読書案内)
「世界史」における「新疆」と「ウイグル人」

[付記] 
○本稿は主に高等学校の社会科教育に携わる教員の方々を読者として想定し執筆した「読書案内」をWeb掲載に当たり若干改稿したものです。理解への一助として、主な用語にはウイキペディア記事へのリンクを張ってみました
(が、あくまで参考ですのであしからず)
○ここで言う「世界史」とは高等学校での教科『世界史』を指しますのでご注意いただければと思います。
○日本の教育現場ではあまり馴染みのない「新疆」や「ウイグル人」について、教科書での記述と昨今の状況をどうつなげていけるのか、という点につき、私なりに些か注意を払って書いてみました。意のあるところをお汲み取りいただければ幸に存じます。[2010.5.5.記]


2008年夏の北京オリンピックの会期直前に発生した一連のテロ騒ぎ、そして2009年7月5日ウルムチで発生した騒擾によって、最近中国の西北角に位置する新疆ウイグル自治区(あるいは東トルキスタン)がにわかに注目を浴びている。「新疆」、「東トルキスタン」、「ウルムチ」、「ウイグル人」、といった聞きなれない地名や集団名がマス・メディアに登場し、それによって中国がチベット問題と並んで「東トルキスタン問題」なる民族問題を抱えていることがある程度周知されるようになってきている。しかるに、この問題についての正確な理解は実はなかなか難しい。それはそれぞれの用語が、これまで「世界史」の授業で扱われてきた内容のどの部分と重なり合い、どう位置づければいいのかと言う問題への理解がいまひとつだからであり、それがこの問題についての誤解や社会的認知度の低さを招いているようにも思われる。

本稿ではまず上述の用語を「世界史」のなかに位置づけ、そのうえでこの地域の歴史と現状を理解するための文献を紹介していくこととしたい。なお本誌(『歴史と地理 世界史の研究』)第78号の読書案内で清水由里子さんが「東トルキスタンのイスラーム」と題し、本稿とほぼ同一のトピックにつき、主として歴史、文化に関する基本文献の紹介をされているので、本稿では前者との記事(文献)との重複の煩を極力避け、紹介する文献の範囲をいくぶん広げてその案内を試みることとする。よって本稿をお読みになる方には第78号記事との併読を強く勧めたい。

まず読書案内に先立って用語を整理してみよう。まず「新疆」と言う地域名称は、「世界史」においては、十八世紀半ばに乾隆帝が西方に領土を拡張し、清朝の最大版図を実現した部分で登場する「ジュンガル部」と「回部」を合わせた地域を指し、1886年の「新疆省」設置、1956年の「新疆ウイグル自治区」への再編成等が「世界史」用語として登場する(なお、その行政の中心都市がすなわちウルムチ市である)。「新疆」という言葉自体は「新しい疆域」、すなわちフロンティアを指し、中国史のなかでは帝国の領域が拡大していくなかで、新たに獲得した新領土に対し一般名詞として用いられてきた言葉であった。それが清朝期の十九世紀ごろに次第に西北辺境を指す地域名称として固定化し、最終的には新疆省の設置を以って公式の行政上の名称となったものである。

次に「東トルキスタン」とは、一般に九世紀ごろの中央アジアの「トルコ化」によって成立した「トルキスタン(トルコ人の土地)」の東側、タリム盆地を中心とするパミール以東の地域として「世界史」では説明されよう。この領域は清代史で登場する上述の「回部」に等しく、のちの「新疆」の南半に相当する。他方、二十世紀に入り、ウイグル人のナショナリズムの高まりとともに、ウイグル人たちは「新疆」に代わる地域名称として「東トルキスタン」を新たに採用し、「東トルキスタン」は天山以北の地域も包含する形で「新疆」とほぼ等価の用語として拡大して用いられることとなった。すなわち「世界史」で十世紀前後のくだりに登場する「東トルキスタン」と、今日メディアで取り上げられる「東トルキスタン問題」の「東トルキスタン」は、厳密には同じ領域を指すものではない。この点は注意が必要であろう。

さらに「ウイグル」(維吾爾)は現在新疆に住む主体住民の民族名称であるが、彼らと「世界史」に登場する古代「ウイグル」(回紇)もまた同一視するべきではない。現代ウイグル人が古代「ウイグル」人を自分たちの祖先とみなしていると言う事情はあるものの、学術的には両者の直接の連続性はまだ議論があり、両者を短絡的に結び付けるのは適切ではなかろう。歴史的に穏当な説明としては、次のように説明される。古代「ウイグル」をはじめとするトルコ系の諸部族が西遷し、その影響の下で他の系統の言語を話していた中央アジアの住民も次第にトルコ化を果たし「トルキスタン」が成立した。そのうちパミール以東のオアシス地帯に居住していた定住民(十八世紀中葉以降は、清朝の支配の下で一定の文化的均質性を有していたと考えられる)が、二十世紀初頭に当時の欧州とりわけロシアの「東洋学」の成果として見出された古代「ウイグル」の名を自民族の名称として公式、非公式に採用するに至ったものである。これが二十世紀における「ウイグル」民族創出の顛末であり、古代「ウイグル」は確かに現代ウイグル人の祖先の歴史と深い関りを有していると考えられるものの、直線的な関係を有しているかどうかは更なる検討が必要なのである。



さて、次にその新疆(東トルキスタン)事情への理解をさらに深めるための文献を紹介していくこととしたい。まず新疆と言う地域のあらましを理解するためには、中国で出版された概説書の和訳である劉宇生ほか著『新疆概覧―シルクロードの十字路 』(文芸社、2003)をまず挙げておくべきであろう。本書は自然環境から歴史沿革、政治、経済、社会、民族文化、各都市の簡単な紹介まで網羅しており、現代新疆を包括的に理解するうえでは最も簡便なガイドとなっている。ただし本書はもともと政府(新疆ウイグル自治区人民政府外事弁公室)により編まれた出版物としての性格上、中国の公式見解の範疇の外にある事柄(たとえば中国と関わりなく展開した歴史的事実や民族問題など)については全くふれられていない。こうした点をカヴァーした概説書の登場が待たれるが、残念なことに日本語ではいまだそういう文献は書かれておらず、個別のトピックについて書かれた文献を複数参照し、読者の側で総合的に把握する努力が求められている点、いささか不便である。

新疆と言う地域的枠組みの形成については、以下に挙げる文献が簡潔かつ詳細である。間野英二ほか著『内陸アジア (地域からの世界史) 』(朝日新聞社、1992)所収の堀直「中国と内陸アジア」、『岩波講座世界歴史 (13) 』(岩波書店、1998)所収の濱田正美「モグール・ウルスから新疆へ」、中見立夫『境界を超えて―東アジアの周縁から (アジア理解講座) 』(山川出版社、2002)所収の濱田正美「中央アジアと東アジアの境界―中央アジアから見た中華世界」。これらはそれぞれ若干アプローチに違いがあるものの、いかに東トルキスタンが中国に編入され、新疆が成立したかと言うプロセスを理解するうえできわめて参照価値が高い。また梅村坦『内陸アジア史の展開 (世界史リブレット (11)) 』(山川出版社、1997)はより長大なスパンの内陸アジア史の文脈のなかでの新疆ならびにウイグル人が位置づけられており有用である。同様に濱田正美『中央アジアのイスラーム (世界史リブレット) 』(山川出版社、2008)は直接新疆の歴史を扱うものではないが、そこでのイスラームの受容とその後の展開の問題を扱っており、イスラーム史という文脈のなかでウイグル人の信仰を理解する助けとなる。

個別の時代やテーマに特化したものとしては、佐口透『ロシアとアジア草原 (1966年) (ユーラシア文化史選書〈3〉) 』(吉川弘文館、1966)は十六世紀中葉から十九世紀初頭までの時代のアジア草原を舞台とした東西交渉史に関する専著であり、新疆史に関わる記事も豊富である。同様に宮脇淳子『最後の遊牧帝国―ジューンガル部の興亡 (講談社選書メチエ) 』(講談社、1995)は新疆の北半を中心に存在したいわゆる「ジュンガル部」の歴史。なお新疆の歴史について、当事者である住民(現代ウイグル人の先祖たち)が書き残した歴史文献はその総数自体限られており、和訳は望むべくも無いが、西川正雄・小谷汪之編『現代歴史学入門 』(東京大学出版会、1986)所収の堀直「歴史認識と歴史叙述」は十九~二十世紀の年代記作者ムーサー・サイラーミーの歴史叙述の問題を扱っており、当地のイスラーム知識人の思想、歴史との対峙のあり方を知ることができる稀有な価値を有している。

十九世紀の末から二十世紀の初頭にかけて、新疆はいわゆる「グレイト・ゲーム」(英国とロシアの勢力争いの場としての中央アジアをチェスボードに喩えた、英国の作家キプリングの造語)の舞台のひとつとして、また同時にいわゆる「シルクロード」の考古学発見の舞台として、国際的に注目され、少なからぬ外国人が訪問・滞在した。そうした外国人の活動を扱った著作や、彼ら自身の見聞記も新疆と言う地域をいくぶん異なった角度からの理解に資する。有名なスウェーデン人探検家ヘディンの著作や伝記をはじめとして、この種の文献は比較的豊富なのでごく一部を挙げる。ピーター・ホップカーク著、小江慶雄・小林茂訳『シルクロード発掘秘話 』(時事通信社、1981)ならびに金子民雄『西域探検の世紀 (岩波新書) 』(岩波書店、2005)は新疆における外国人たちの相次ぐ考古学的発見競争の実態を活写した著作である。またマカートニ夫人著、金子民雄訳『カシュガール滞在記―別世界との出会い〈3〉』(連合出版、2008)はそうした時代に新疆に暮らした英国総領事夫人の回顧録である。さらに時代が下り中国革命直後の新疆を訪問した英国人ジャーナリストの手になるバズル・デヴィッドソン著、小林雄一訳『生きていた国―新疆の謎』(紀伊国屋書店、1959)、文化大革命後の開放政策の初期に新疆を訪問した個人旅行者の記録であるクリスティナ・ドッドウェル著、堀内静子訳『女ひとり中国辺境の旅 (ハヤカワ文庫NF) 』(早川書房、1989)はともに時代を違えたすぐれた新疆訪問記である。

現代中国でウイグル人の置かれた状況については、前述の歴史文献はじめいくつかの概説書で示されている通り、「少数民族」の文化や政治的権利を保障する法的枠組みがありながら、それが十分に機能していない矛盾と、圧倒的な人口を有する漢民族の前に明白に政治的弱者であるという過酷な状況が確かに存在している。とくに2001年9月11日のいわゆる同時多発テロ以来、「カウンター・テロリズム」の号令の下で中国のウイグル人はさらなる政治的弾圧を受けているとされる。そうした状況の一端をリポートしたものとして、水谷尚子『中国を追われたウイグル人―亡命者が語る政治弾圧 (文春新書) 』(文藝春秋、2007)は中国政府の「弾圧」により海外への政治亡命を余儀なくされたとされる複数のウイグル人のインタビューを軸に構成されている。ラビア・カーディル、アレクサンドラ・カヴェーリウス著、熊河浩(訳)『ウイグルの母 ラビア・カーディル自伝 中国に一番憎まれている女性 』(ランダムハウス講談社、2009)は一代で実業家として成功を収め、政治的にも政府の顕職まで上り詰めながら「分離主義者」の烙印を押され逮捕され、最終的にはアメリカに亡命し現在は在外ウイグル人組織の代表を務めるラビア・カーディルの自伝(語り書き)であり、現在ウイグル人が置かれた状況の理解に資するばかりでなく、中国の改革・開放政策のなかでのサクセス・ストーリーとしても十分読みごたえのある一冊である。この二冊はそれぞれ中国の新疆統治、少数民族政策の負の側面の一端を提示したものとして(無論、亡命者としての「立場」を勘案するならば、そこに示された情報は幾分割り引いて捉える必要があるものの)一定の参照価値を有している。その一方で、逆に中国の一部であるゆえに、新疆から中国国内各地に進出し、たくましく活動するウイグル人がいることもまた事実である。李天国の『北京の新疆村―イスラム系コミュニティの生成過程 (社会調査のモノグラフ叢書) 』(ハーベスト社、1996)ならびに『移動する新疆ウイグル人と中国社会―都市を結ぶダイナミズム 』(ハーベスト社、2000)の二冊は、社会学の立場から、新疆境外に暮らすウイグル人たちのネットワーク、ならびに中国都市社会のなかでのコミュニティ生成の問題を扱っている。これらは現代中国のダイナミズムのただなかにあって、さまざまな「現実」と折り合いをつけながら日々を生きるウイグル人たちの肉声を記録したリアリティあふれる貴重なレポートとして、一読をお勧めしたい。

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