所  載 『イスラム世界』69号(2007年11月)、68-82頁。
HTML版公開 2008年11月17日
最終更新 2008年11月17日

書評と紹介


ティムール・ダダバエフ著

『マハッラの実像-中央アジア社会の伝統と変容』

(東京大学出版会、2006年4月、368頁)

1. はじめに

「マハッラ」は都市、農村の街区、地区を指すと同時に、そこに暮らす人々のコミュニティそのものをも意味するアラビア語の単語である。中央アジアの都市研究にはすでに膨大な蓄積があることが知られており、都市の構成要素である「マハッラ」もまたソビエト東洋学の数々の研究成果によってその歴史像がかなり明らかにされている 。しかしながら「マハッラ」の現状については手堅いデータに依拠した研究がなく依然として不明な部分が少なくなかった。そうした現状にかんがみて、この中央アジアの「マハッラ」を検討の軸にすえた本格的研究が本書『マハッラの実像』である。

本書は中央アジアにおける「マハッラ」を検討の軸にすえた、日本を主たる学術活動の場とするウズベク人研究者による最新の研究成果である。著者のティムール・ダダバエフは1975年タシケントで生まれ、立命館大学で学位を取得し、現在筑波大学で教鞭をとる気鋭の研究者である。

評者は中国領中央アジア(新疆)の歴史を専門とし、本書が扱ったウズベキスタンの地域社会事情については門外漢であるが、後述するように本書の内容は新疆研究においても極めて有益な点が少なからずみとめられる。よって本稿では、些か変則的ではあるが、新疆史研究者の視点から本書の内容を紹介し、その価値、問題点を示してみたいと思う。


2. 本書の内容

以下、本書の内容をその構成に従って紹介する。


ソ連解体後、現代世界は急激な変化の波に晒されている。特に中央アジア地域は「脱イデオロギー」、民主化、市場経済化を経て、数々の政治、経済、社会的諸問題が山積しているのが現状である。著者はこうした歴史的な潮流の中で地域的問題・課題を認識し、解決をはかることで当該地域の平和で豊かな社会の実現を図りうるとし、具体的にその解決のための潜在的ツールとして「マハッラ」に注目する。事実として近年の不安定な状況に対し、ウズベキスタン政府が自治組織の強化を目指しており、「マハッラ」が俄かに公的なレヴェルで注目されていることを示す。こうした背景を踏まえて、著者は本書の検討課題を「マハッラの定義を行い、その内容、類型、役割、他の組織との関連性を探ること」であるとし、具体的なアプローチの仕方として「マハッラとは何か?」、「マハッラは国家機関の一部か?それとも非公式かつ伝統的なネットワークか?」、「マハッラと住民のアイデンティティとの関連性はどういうものか」、「マハッラと宗教・モスクとの関係はいかなるものか?」、「マハッラとマハッラ代表の支持基盤はいかなるものか?」という5つの問題意識に基づいて検討するものとする。手法としては学際的であり、地域研究、政治学、文化人類学、歴史学等の諸分野の手法がとられるという。

第1章 マハッラの歴史的背景
本書の中心的な検討課題であるソ連邦解体後の「地域コミュニティの変容」の前提として、ソ連時代までの「地域コミュニティ」の様態について歴史的な俯瞰(「歴史的枠組みの提示」)が試みられる。

まず第1節~第3節ではソビエト期の東洋学の成果を利用するかたちで、18世紀からソ連邦成立以前の時期までの伝統的な地域社会の基本状況が紹介される。第1節「歴史観点から見たマハッラ」では中央アジアにおける伝統的な都市の構造と行政制度がとりあげられ、特にブハラ、サマルカンド、タシケントなどを例に、門、マハッラ、グザル、共同利用施設からなる囲郭都市としての基本プランや、カーディ、ラーイス、そしてオクソコルといった地域コミュニティの日常の管理を担った役職者たちの活動、職能などが紹介される。第2節「地域社会の種類-マハッラとグザル」では伝統社会における地域コミュニティとしてのマハッラ、ならびにグザルの形成パターンとして職業を単位とするケース、「民族」を単位とするケースが紹介される。第3節「共同利用施設」ではそうした伝統的地域コミュニティに存在した共同利用施設として水の提供、管理に関わる施設(水路、貯水池など)、宗教施設(モスクなど)の種類と共同儀礼を含むそれらの運営形態が紹介される。

つづいて第4節「ソ連期におけるマハッラ」ではボリシェビキ革命(1917)からソ連の解体(1991)にいたる時期の地域コミュニティの状況が、主として政府の地域コミュニティへの関与(「共産主義国家建設のためのマハッラの利用」)という視点から検討される。まず中央アジアのソビエト化において政権がとった施策として、伝統的な仕組みの弱体化を進める一方で、「マハッラ」を組織化し利用するという「二重政策」の具体相が紹介される。ついでこうした施策の結果、ソ連解体直前の段階で「マハッラ」が政府機関の「下請け」であると同時に宗教機関とも強い絆を持った影響力ある「機関」として認識されるに至った事情が紹介される。

以上の検討を踏まえ、著者は「適応性」「愛着心」「妥協」「自立性」の4つのキーワードを挙げ、これらキーワードが本書における地域コミュニティを分析する上で重要であり、その「機能」「役割」そして「存在意義」を強調するものであるとする。


第2章 伝統的なマハッラ社会の実像
マハッラにおける住民の交流のための伝統的「空間」が検討される。第1節「交流・情報空間・助け合いの「空間」」では、地域コミュニティにおいて伝統的に存在した空間、すなわち儀礼としての「ガプ」(「トクマ」、「ガシタク」)、施設としての「モスク」、「チャイハネ」、「グザル」などの具体的な様態と機能とが個別に明らかにされる。つづく第2節「「非公式」で伝統的なマハッラにおける非金銭的支援」では、住民の伝統的、非金銭的な相互支援の仕組みとして「ハシャル」、冠婚葬祭などの諸事例が個別に紹介される。


第3章 行政の民営化?-国家のマハッラ政策
ウズベキスタン独立後の地域コミュニティの「公式化」「組織化」のプロセスとその利点、弱点が検討される。第1節「マハッラの法的地位と活動上の法的基盤」では独立後のウズベキスタンにおける改革のひとつの方向性として「マハッラ」の「公式化」「政府機関化」があることが示され、その動きには現在に至るまで①独立~1997(支援・保護能力の強化)、②1998-2001(地域社会の警備・管理強化)、③2001-現在(新しい地域「行政・管理」組織の誕生)の3段階が認められるとする。

第2節「新しく制度化されたマハッラ像」では上述の3つのステップを踏んで成立した「制度化されたマハッラ」が今日では行政制度の一部として機能しているとして、「マハッラ代表」ならびに「マハッラ運営委員会」を中心とした地域コミュニティの制度的、法規的構造を明らかにする。つづいて生活支援、治安確保等からなる地域コミュニティの機能と役割、管理組織(シルカト)の構造内容などが示される。

つづく第3節「「21世紀のマハッラ」概念」では、ウズベキスタン政府が2000年に打ち出した国家の地域コミュニティ運用戦略のガイドラインである「21世紀マハッラ」概念が検討される。このガイドラインは「マハッラ」の法的地位の確立と経済基盤の強化を目指すものであり、具体的措置が多く盛り込まれている点一定の評価ができるものの、所詮「目標」であるためその射程は限定的であるとする。

最後の第4節「マハッラの[公式化」・組織化の問題点」では上述の状況を踏まえ、「マハッラ」運営にかかる役割分担ならびに政府とのパートナーシップの欠如といった、地域コミュニティの制度化が抱える問題点が提示される。


第4章 マハッラにおける支持基盤-世論調査から見たマハッラ
現代ウズベキスタン国民の「マハッラ」に対する認識が検討される。
第1節「研究方法と資料、その限界」では研究手法と資料が示される。ここで著者が利用した資料はウズベキスタンの世論調査会社2社が実施した世論調査データ(1998-2003)ならびに著者自身によるフィールド・ワーク(インタビュウ、2002-2005)である。

第2節「各州の特徴とマハッラ」ではウズベキスタン国内における「マハッラ」の影響力の地域差が概観される。歴史的にはフェルガナ盆地、サマルカンド、ブハラ、タシケントなどで「マハッラ」の社会的影響力が強かったのに対し、カラカルパク共和国では「マハッラ」の概念はなじみが薄いという。こうした歴史的背景のほかに、住民の生活水準、経済構造、民族構成などもマハッラに対する認識に影響を与えていると著者は主張する。

第3節「住民の近所付き合い・地域社会の支持基盤」では著者が実施した「アジア・バロメーター調査(2003年)」のデータに依拠し、ウズベキスタン国民の近所づきあいに関する認識の分析を通じて、「マハッラ」が多くの人々にとりアイデンテティの要因となり、重要な社会的仕組みと考えられていると結論する。

第4節~第7節は1998年と2003年の世論調査データに基づくウズベキスタン国民の「マハッラ」認識の分析である。第4節「変化する国内環境」では住民生活における「マハッラ」の重要性が国家的なキャンペーン(政府当局が2003年を「マハッラの年」に指定)の影響もあり高まりを見せているとする。第5節「地域別の相違」では住民の「マハッラ」認識が各州住民のメンタリティ、経済状況を反映していることをあらためて指摘し、第6節「都市部のマハッラと農村部のマハッラ」では、都市部、農村部においてはそれぞれの生活、生産のスタイルの違いが「マハッラ」に対するニーズと実態の差異となっている点を指摘する。第7節「住民の所得水準とマハッラ参加」では所得水準と「マハッラ」の影響力の関係を検討し、高所得層ほど「マハッラ」への支持度、依存度が低いとする。第8節「マハッラ住民の年齢とマハッラ参加」では年齢が高くなるほどマハッラの支持と参加の程度が高くなり、若年層は「マハッラ」の仕組みに「後ろ向き」な姿勢を示しがちであるとする。第9節「マハッラに対する支持の民族別相違」では、一般にウズベク人および他の「中央アジア系民族」が比較的高い「マハッラ」への支持を見せるのに対し、スラブ系民族など非アジア系民族の支持率が低いことを示し、その理由としてメンタリティと生活様式の違いを指摘する。

最後に結論として、こうしたさまざまな次元における「マハッラ」に対する支持、意見の相違は、「マハッラ」をめぐる問題が日常生活の枠を出るものではない現段階ではそれほど大きな問題ではないものの、住民の政治参加の仕組みを目指す次段階においては地域社会に亀裂を生みかねないと指摘する。


第5章 マハッラ代表像ー選出、イメージ、現状と課題
ウズベキスタンの国内法、著者自身による実地調査データ、世論調査データに依拠して、今日の「マハッラ代表」の選出基準や支持者が「マハッラ代表」にもとめる諸要素が検討される。

第1節「マハッラ代表の選挙・選出基準」では「マハッラ代表」の選出プロセスが紹介される。まず「マハッラ代表」候補者の人選においては住民の推薦のほかに政府側からの要請による立候補が一般的に行われている事情が示され、それはウズベク人のメンタリティが反映されたものであるとする。つづいて政府が組織する「マハッラ代表選挙準備委員会」と「マハッラ」側で組織される「選挙準備委員会」を軸とした選挙組織のかたち、一連の手続きの流れが示される。

第2節「変わりゆくリーダーシップ」ではかつての「伝統的な「非公式な」マハッラ」から、新しい「「公式化」されたマハッラ」が形成されるに及んで、顕在化した新しい「マハッラ」のリーダーシップ像が複数の具体例から検討される。具体的には今日の「マハッラ代表」は「マハッラ」内の潜在能力を活用して問題を解決する「内向き」なリーダーと「マハッラ」外に財源をもとめ「マハッラ」の利益を求める「外向き」に大別されること、マハッラ代表の新しい姿としては女性、実業家、そして若いマネージャー型の代表が近年登場してきていることなどが指摘される。

第3節「マハッラ代表像とその役割・義務と具体例」では「マハッラ代表」の経歴に注目し、今日の「マハッラ代表」像として(1)政府職員、国民農園出身者、(2)実業家、(3)その他(例:医師、詩人、スポーツ指導者、軍医など)の3類型を示す。

第4節「代表のマハッラ運営戦略」では「マハッラ代表」の「マハッラ」運営にかかる取り組み(戦略)として、家庭内不和の仲介、財源・支援の確保、伝統的な仕組みの現代化などトピックにつき、その具体的手法が複数の例の提示を通じ紹介される。

第5節「マハッラ代表、活動家に対する支持率」第6節「世論調査にみるマハッラ代表」では世論調査データに基づき「マハッラ」のリーダーたちに対する住民の評価が検討される。年齢、所得水準、居住地域によって評価は異なり、一般に年齢が高く、低所得で農村部居住者はリーダーたちに対する尊敬度、期待が高いことが示される。


第6章 マハッラと人権
近年政府と人権活動家との間で交わされる議論のトピックとしても注目されつつある「人権問題」と「マハッラ」の関係、すなわち「マハッラ」は人権を守るのか侵害するのかという問題が検討される。

第1節「ウズベキスタンにおける民主化と人権問題の背景」ではウズベキスタンにおける「民主化」の今日までの展開過程と、民主化運動組織の現状が紹介される。ウズベキスタンの民主化は、民主化の「誕生」(1985-1990)から「民主化の危機」そして「独裁」(1991-1998)、治安確保優先の時期(1999-2001)を経て「民主化の再出発」(2001-2004)にいたる4つの時期に区分され、こうした流れの中で民主化運動団体は「マハッラ」を自治組織ではなく住民に対する政府の「監視機関」であるとの見解を有しているという。

第2節「人権の定義・解釈」では、「人権」を「政治的権利」、「肉体的・精神的な自由と安全」、「社会・経済的権利」の3つに分類し、以下の部分での「人権」をめぐる議論の前提を提示する。

第3節以下では国際的な人権保護団体Human Right Watchの2003年9月に公表したレポート「家から家へ-マハッラ委員会による虐待」と2004年2月に筆者が駐英ウズベキスタン大使館から得た報告書に依拠し、人権運動家たちの指摘する「マハッラ」による人権侵害と、それに対する「マハッラ」側の反論を検討する。第3節「マハッラによる政治的権利の保護および侵害の疑いとその実態」では政治的権利の侵害事例が検討される。具体的には1999年の同時多発テロ以降の政府による「マハッラの管理機能」の強化、「マハッラ」の活動への政府の介入と指導、「マハッラ」と警察機関との連携等に関する問題が示される。

第4節「マハッラによる自由の保護・制限」では住民の「肉体的・精神的自由と安全」に関する議論が示される。具体的には「マハッラ」の自警組織である「マハッラ自警団(マハッラ・ポスボニ)」による住民のプライバシー侵害、「マハッラ運営委員会」の地域管理のための各種住民情報の収集、「マハッラ運営委員会」のもつ証明書、許可書、推薦文等の発行権限の濫用による権利侵害、家庭内の問題に対する「マハッラ運営委員会」の過干渉などの問題が示される。

第5節「経済的・社会的権利の侵害について」では「社会・経済的権利」の侵害についての指摘と反論とが示される。具体的には「マハッラ」の住民に対する支援供給において差別が存在すると指摘されていること、それに対する当事者の反論,実態が示される.

第6節「人権 vs. 「コミュニティ権」のジレンマ?」ではこれまで紹介されてきた人権運動家とマハッラ当事者の議論について著者の見解が述べられる。「個人の人権を確保するか、個人の人権を制限してでもマハッラつまりコミュニティの権利を確保するのかという選択(ジレンマ)」がマハッラ側の行動を説明できるとする一方で、人権運動家の指摘する「マハッラ運営委員会」と政府との関係も重要な問題であり、その動向が今後の人権問題を見ていく上でも注目されるとする。

最後に「まとめ」では本章にて示された議論の整理が試みられる。第一にマハッラ運営委員会の活動に関する視点の相違、第二にマハッラ運営委員会自体が政府からの人権侵害の被害者であるケースが少なくない、第三は「マハッラ」事情は個別的であり、同じ課題へのアプローチもマハッラにより異なり、制度・構造として「マハッラ」が人権を侵害しているとの指摘は不適切である。第四にマハッラが住民の人権を守っている場合があり、マハッラ運営委員会をつねにマハッラ住民の人権侵害を行う存在とみなす人権運動家の指摘は不当としてこの議論が整理される。

第7章 民主主義と権威主義の間で-フェルガナ州のマハッラの事例から
「マハッラ」の行政、司法における具体的な役割と問題点がフェルガナ州の事例から検討される。フェルガナ州はウズベキスタン独立前後から民族間衝突、イスラーム武装勢力の侵入、反政府騒乱などで恒常的に不安定な状況にある地域であり、そのなかで同地域の行政・司法は2002年から「マハッラ」との連携強化をはかるパイロット・プロジェクトに着手している。

第1節「マハッラの機能強化の契機」ではフェルガナ州における行政・司法が「マハッラ」との連携強化にむかった「要因・契機」が司法当事者のインタビュウなどを通じ検討され、行政・司法に対する住民の監査手段の欠如がその最大の要因として示され、地方政府における不正行為の実態、住民による監査を阻む背景、それに対する「マハッラ」と政府の連携による監査の仕組みの導入事情などが示される。

第2節「監査の分野」第3節「監査のメカニズム」では2002年にフェルガナ州検察庁が作成した「「マハッラ」による監査を強化し市民の権利を強化するための手引き」にみられる市民と司法の連携になる監査(不正防止)の枠組みが紹介される。この枠組みは生活必需品の規定価格での提供や高齢者支援など合計で10項目が「マハッラ」と検察庁、州庁により提携管理されることがうたわれているという。そしてその具体的な仕組みは「マハッラ」主催の審査委員会の組織と活動を軸としているという。

第4節「市民監査機能の主な具体例」では、住民の監査事例として、特に頻発する具体的な問題を紹介する。具体的には「生活に最低限必要な8品目の提供」「一人暮らしの定年退職者・老人に対する支援・保護」、「体が不自由な住民や定年退職者に対する年金の適正な支払い」、「土地利用に関する市民監査」、「電気・ガスの提供、ゴミ処理等の市民監査」等の問題をとりあげ、「てびき」によって打ち出された仕組みの適用例を整理、検討する。

第8章 マハッラと共存する他の組織
「マハッラ」と共存・重層する他の組織について、その仕組みと「マハッラ」との関係が検討される。他の組織とは具体的にはシルカト、フェルメル、デフカン、水使用者組合、そして国際NGO、国際機関などである。

第1節「農村部における変化と農村住民の状況」では、ソ連崩壊による国営農場コルホーズ、ソフホーズの解体後の農村の変化と「マハッラ」の関係が検討される。コルホーズ、ソフホーズ解体の結果、農村部の生産・経営組織と住民の生活組織が切り離され、前者は農民組織であるシルカト(大規模、政府主導)、フェルメル(中規模)、デフカン(小規模)が、後者は「マハッラ」の住民組織が負うこととなった経緯が示される。

第2節「農民組織の特徴とマハッラ」ではシルカト農園、フェルメル農園、デフカン農園そして「水使用者組合」それぞれの特徴と成り立ち、「マハッラ」とのかかわり方が紹介され、農民組織が「マハッラ運営委員会」の住民生活補助の機能を支える一方で、「マハッラ」もまたそれら組織の権利確保に協力するあらたな「仕組み」が示される。

第3節「国際NGO・国際機関とマハッラ」では独立後のウズベキスタンの外国からの支援のチャネルとして「マハッラ」が注目され始めた結果、「マハッラ」と関わりを取り結び始めた国際NGOや国際機関の「マハッラ」との関わり方、支援の具体例が紹介される。具体的にはECOSAN(環境と衛生改善基金)、USAID(米国国際開発庁)、CHF(住宅共同財団)、CI(Counterpart International)、UNESCO(国連教育科学文化機関)、UNFPA(国連人口基金)などが取り組んだ支援事業が取り上げられる。


結論

まず本書においてここまで検討されてきた諸問題の中から明らかになったこととして、5つの要点が挙げられる。
(1)「マハッラ」は歴史的な「隣人コミュニティ」であり、ウズベク社会の伝統の一部である。ソビエト時代に政権の目的に従う社会組織となり、その社会的役割が局限されたものの、その存在意義と仕組みは非公式の形で保持されていた。
(2)ペレストロイカから独立に至り「マハッラ」は「民族的価値観が生き続ける場」、後には「民族間対話を促し、社会を安定させる」仕組みとして注目されることとなり、結果として政府による「マハッラ」の組織化・公式化が進められた。
(3)「マハッラ」への帰属意識は主として伝統的・非公式な支援ならびに「公式化」されたマハッラ運営委員会の金銭的支援によって支えられる。
(4)今日の「マハッラ」とモスクの関係は、モスクは「マハッラ」から支援を受け、政府へのモスク登録時に「マハッラ」の推薦、支持を受けるなどモスクは多くの場面で「マハッラ」に依存している。また農民組織と「マハッラ」の関係は独立後の国営農民組織の解体により大きく変化し、後継農民組織である中小農園から「マハッラ」に対する支援は従来に比べ限定的なものになっている。
(5)今日の「マハッラ」代表者は、従来の伝統的な「長老」に代えてその姿、役割が多様性を見せるに至っている。選挙による代表の選出は若い代表や女性の代表を生み、それが「マハッラ」の仕組みに「新たなダイナミズムと活力」をもたらしている。

つづいて今日の「マハッラ」の「公式化・組織化」政策に存在する問題点も3つ指摘される。すなわち、(1)不透明な「マハッラ」と国家の関係、(2)「マハッラ」の自立性の弱さ、(3)「公式化」による住民の「マハッラ」との関係の変化(「マハッラ」参加、関与の選択権の喪失)などである。

最後に、以上の結論を踏まえ、「マハッラ」の将来について展望が示される。その将来像の「選択肢」は多様ながら、「国家指導の下で政府と住民の間のクッションのような仕組みとなる」こと、あるいは「政府から自立し、住民の権利と要求を確保する本当の自治組織になる」ことなどが可能性としては挙げられるとする。


3.本書の評価-新疆研究の視点から

3.1. 指針としての価値

評者はまず、本書を一読して大変刺激を受けたことを告白しなければならない。著者自身が本書冒頭部分に「学際的」と断りを入れているように、本書で扱われた諸問題の検討において拠った情報源と分析の手法は地域研究、政治学、歴史学、文化人類学に渉っている。そうしたひとつのディシプリンにこだわらない柔軟な研究態度が、取得しうる情報に限りのある当該テーマにあって、一本の研究を立てるに足るボリュームの情報の提示と考察を可能にしていると考えられるのである。地域研究、とりわけ使える情報・知見が比較的限られている中央アジア地域の研究にあっては、種種雑多な情報を総合し研究対象の「像」を取り結ぶためには、多少なりとも学際的な手法に拠らざるを得ない。著者はウズベキスタンの「地域コミュニティ」という「像」を描き出すために、まさに動員できる情報をすべて動員し、複数の視点から「光」の照射を試みたのであり、それは見事に成功を収めたということができるであろう。著者の手法はひとつの模範として大いに学ぶところがある。

第二に、本書の有用な点としてあげるべきは前段と些か重複するがウズベキスタンの地域コミュニティに関する筋のよい情報が豊富に盛り込まれている点である。(ロシア・)ソビエト東洋学の成果を過不足なく消化し、ウズベキスタン独立以後の公文書、種種の報告書に加え、世論調査結果、東大が実施した「アジア・バロメータ調査」データベースの成果、著者自身が40のマハッラに対し実際に行った4次にわたるフィールドワークの成果(聴取データ)、さらには写真図版などが縦横に駆使されており、それらはそれぞれ独自の価値を持つものである。提示資料に注目するだけでも本書の価値は高いと言える。

第三に、いささか間口の狭いトピックで恐縮ではあるが、類似した社会環境を持つ他地域の研究との比較の可能性を挙げておきたい。評者はウズベク人と歴史的に密接な関係を有し、基層文化を同じくすると考えられる中国領中央アジア(新疆)のウイグル人の歴史文化を主たる関心の対象とするものであるが、本書はウイグル社会理解のためにも大変参考になる知見を数多く含んでいる。第1章、第2章で示された伝統的な地域社会の姿に関する記述はよく整理されており、そこに示される都市の構造、自治管理組織の構造、役職者の関係、社会制度、儀礼などのエレメントは新疆のそれを考察する上で有用な手がかりを与えてくれるものである。また、ソビエト政権による新体制の成立、さらにはソビエト解体後の独立政権下での地域コミュニティの「公式化」にいたる流れ、さらには「公式化」のもとでの地域コミュニティの数々の変化もまた、中国の政治体制の下で数次にわたる社会変動を経験した新疆の地域社会の「伝統」と「現在」を読み解く視点を与えてくれる。おそらく新疆とウズベキスタンの地域社会像を比較検討して見るならば、その共通性の向こう側に両者共通の基層文化というものが見えてくるであろうし、逆に両者の相違点からは現代ウイグル社会と現代ウズベク社会がそれぞれ歴史的に育んできた地域性(そこには重要なファクターとして当然中国とロシアによる統治が大きく影を落としている)を浮き彫りにすることが出来るはずである。

たとえば「マハッラ」は新疆においても伝統的な社会のなかでかつて存在していた。1950年代まで新疆ではイスラーム法廷が存在し、不動産の売却、債務、婚姻といった一般的な契約においてカーディ(法官)の認印入りで作成された契約分書類は、その当事者名がひとしくその居住「マハッラ」名とセットで記入されていたのであり、その様態は基本的に本書で記述された伝統的な「マハッラ」像と共通する性格を有していたものと想像される。しかしながら今日の新疆においては、政府が認識するところの「公式」な地域コミュニティは「マハッラ」とは呼ばれておらず、同根の言葉である「住民(ahale)」を用いて「居民委員会(Ahalilar Komiteti)」あるいは「コチャ(Kocha)」の形で呼ばれているのが一般的である。また、その示す範囲も従来の「マハッラ」を複数なかに含むような広範囲のものとなっているように見受けられる 。こうした用語の問題も含めて、新疆の地域コミュニティには歴史的にも、また現状についても未解明の問題が数多く存在している。本書が扱ったトピック・視点は、新疆におけるアプローチに一定の指針を与えることであろう。


3.2. 多様な「マハッラ」像をめぐって

以上述べて来たように、本書は中央アジアの地域コミュニティの伝統と現在につき、豊富な情報に基づきそのアウトラインを素描しえた好編であるが、問題点が全くないわけではない。まず評者は本書評において、ここまで一貫してマハッラという用語について括弧つきで「マハッラ」と表記するか、あるいは「地域コミュニティ」という言葉を使ってきた。これは本書において「マハッラ」という言葉が果たして無限定に、すべて一貫して同じものを指す用語として用いうるものかどうか些かの疑念があったからである。伝統社会において成員がある程度有機的なつながりを持った「非公式」の地域コミュニティであった「マハッラ」と、本書で中心的に分析対象となった「公式化された」「マハッラ」の区分について、もちろん著者は十分に自覚的であり、本書の中でもたびたび両者について区別するよう配慮のあとが確かにうかがえる。しかしたとえば第4章2節の「各州の特徴とマハッラ」で問題とされているのは制度としてのマハッラではなく、伝統的な地域コミュニティとしてのマハッラのようにも見える。また同章で検討された世論調査では「マハッラ」という言葉の意味の受け取り方が調査対象者によって異なっている可能性がある。たとえばウズベク人など伝統的にこのタームを一般名詞として用いてきた民族は「近所づきあい」つまり非公式な形でも「マハッラ」をみるであろうが、それ以外の人々は「制度」としてとらえ回答しているはずだからである。これらを区分せずに漠然と「マハッラ」という言葉を使用するのは正確な理解を妨げるリスクがある。とはいえ読み手がいちいちその語の意味が何であるかを吟味しながら読み進めるのはなかなかわずらわしい作業である。著者はこの点について可能な限り配慮をしてはいるが、伝統的な地域コミュニティとしての「マハッラ」に対しては別の用語をあてがう等の「格別」の配慮があったらと些か悔やまれる。

また、歴史学の立場から「伝統的」かつ「非公式」な「マハッラ」について些か気になる点として、20世紀初頭のソビエト化における変動が不当に軽んじられてはいないかという疑問を指摘しておきたい。本書においては1991年の独立をひとつの画期として、「非公式・伝統的なマハッラ」と「公式化されたマハッラ」を対置する見方をとり、第1章においては前者について「マハッラ」像の提示が試みられている。ここで著者はロシア帝政期の「マハッラ」像を提示し(第1節~第3節)、つづいてソビエト期の「マハッラ」に対しする政府の施策を紹介する(第4節)わけであるが、ここで著者が示すのは「マハッラの活動を抑えながら、他方でマハッラをソビエト的な思考のプロパガンダのために利用」した「二重政策」のみであり、その前段で紹介されたロシア帝政期の「マハッラ」像が具体的にはどうなったのかという点については沈黙しているのである。この時期の地域社会の変動については依然未解明の部分が多く、情報の絶対量が不足しているという事情はあるのであろうが、ロシア帝政期の伝統社会像を提示し、そこから(上層の政治変動についての記述はあるものの)独立以後の「公式化されたマハッラ」像の検討に入るのは明らかに飛躍である。評者はウズベキスタン史を専門とするものではないが、ロシア帝政期まで当地の地域社会においてはイスラーム法廷が機能しており、すなわちイスラーム法の法秩序のもと社会システムが動いていたこと 、それがソビエト化によって解体されてしまったことは周知のことであり、その一事をもってしてもソビエト化による地域社会の変動は想像に余りあるものがあると言えるのではないか。もちろん、この点は本書が中心的な問題とする現代中央アジアの地域コミュニティを考察する上では瑣末なことに過ぎないかもしれない。しかしこの点のために本書における歴史的背景と現代問題への考察のつながりがやや歪なものになってしまったのは残念なことである。


4.おわりに
ごく若干の問題があるとはいえ、本書で示された諸要素は中央アジア社会研究上の新しい地平を展くものであると評者は考えている。著者の卓越した学際的研究手法、堅実なデータ、そして提示された数多くの知見はひとり中央アジア地域のみならず、より普遍的な人間の社会的営みの一つの単位として、「地域コミュニティ」のありかたを理解するための有益な視点が示されているからである。おそらく本書を一読した読者たちは本書に盛り込まれた「マハッラ」をめぐるウズベキスタンの人々の声を通じて、それぞれに自分たちが今直面し対峙しているコミュニティを自分たちの意識に投影させつつ本書を読むことが出来たのではないだろうか。こういう好編を世に出した著者に感謝するとともに、研究のより一層の進展を切に望みたい。


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