所  載 『東洋文庫書報』 第30号(1998年3月)、22-44頁。
HTML版公開 2002年4月2日
最終更新 2008年11月17日



「北京のモリソン」と新疆

モリソン文書における新疆関係資料について



G. E. Morrison (1862-1920)


はじめに

東洋文庫のコレクションの核をなす「モリソン文庫」の原所有者モリソン(Dr.George Ernest Morrison,1862-1920)が辛亥革命前夜の1910年に新疆を旅行していたこと、しかもそれがまた並々ならぬ大旅行であったことを知る人は少なかろう。モリソンはその青年時代にオーストラリア、ニューギニア、中国南部に大旅行をおこない名をなした人物であり、壮年期の新疆旅行はその若き日の有名な旅行と、タイムズ紙通信員そして中華民国政府外国人顧問としての華々しい活動の陰に隠れてあまり注目されることがない。モリソンの伝記であるパールの『北京のモリソン』 にもそのふれるところはごくわずかである。

今世紀初頭の新疆の状況を理解するための史料は、19世紀よりましとはいえ依然十分なものとはいえない。現存する史料の多くは当事者である清朝当局によって書かれた公文書の類が主をなしており、被支配者であるトルコ系イスラーム教徒定住民のメモワール、当時カシュガルなどに駐在していた英国、ロシア領事館、キリスト教伝道団などの記録、そして新疆を訪れた旅行者の記録がそれに続く。モリソンの旅行は1910年という微妙な時期におこなわれたということと、これまで関心が払われてこなかったという意味で、一見の価値があるものと考えられよう。筆者が、ここにオーストラリア、ミッチェル図書館に所蔵されるモリソン文書中の新疆関係資料を紹介する目的はそこにある。

「モリソンが期せずして残した尨大な文書の一大集積」で、「モリソン自身を知るについては勿論、彼の生きた十九世紀末、二十世紀初頭の、支那を中心とする東アジアを知る上に最も重要な資料の一つ 」としてモリソン文書の調査を行い、その重要性をはじめて指摘されたのは榎一雄氏であった。氏は1970年にミッチェル図書館を訪れモリソン文書の調査を行ない、その一部のマイクロ・フィルムを東洋文庫 に将来されると共に、未整理の状態であった同文書の大要を「ミッチェル図書館所蔵のモリソン文書について」(『東洋文庫書報』第2号(1970年))として紹介された。モリソンの新疆旅行およびモリソン文書中の関連ファイルの存在をはじめて指摘されたのも榎氏である 。

榎氏の調査より十年後の1980年、中見立夫氏が同図書館を訪れ、1977年に整理の完了を見たモリソン文書を精査された。氏の「最近のモリソン文書」(『東洋文庫書報』第12号(1980年))は同図書館による整理完了後のモリソン文書の全容、就中主題別ファイル(後述)の詳細を紹介したものである。氏はまたモリソン文書中にチャガタイ・トルコ語(新疆に居住するトルコ系イスラーム教徒定住民すなわち現在でいうウイグル人、の使用していた文章語)で書かれたもの(27頁)、当時伊犂にあった林出賢次郎にモリソンを紹介する本多熊太郎書記官自筆の和文の紹介状(48頁)などが存在することも指摘された。

筆者は昨夏(1997年7月~9月)、偶々シドニーに滞在する機会を得、その間ミッチェル図書館を訪れ、モリソン文書を調査する機会に恵まれた。本稿は1997年現在のモリソン文書の閲覧事情を紹介すると共に、はじめてモリソン文書中の新疆に関連したファイル類の詳細を紹介するものである。



ミッチェル図書館


Mitchell Wingのエントランス

ニュー・サウス・ウェールズ州立図書館(State Library of New South Wales)はシドニー・シティのほぼ中心部、ハイド・パークから北へのびるマクォーリィ街(Macquarie Street)沿いの、聖ジェームズ教会、旧造幣局、州議事堂といった歴史的な建物群の北端に建っている。ドメイン(The Domain)と呼ばれる緑地をバックに建っている赤褐色の堂々たるヴィクトリア式建築物はミッチェル翼(Mitchell Wing)と呼ばれ、モリソン文書が収められた同図書館の支部、ミッチェル図書館とディクソン図書館(The Mitchell and Dixson Library)が入っている。一方、一般利用者の閲覧室ならびに観光客むけのライブラリー・ショップ が入った超現代的な新館は裏手にあり、こちらはマクォーリィ翼(Macquarie Wing)と呼ばれている。

"PUBLIC LIBRARY OF NEW SOUTH WALES"という文字が刻まれたミッチェル翼にのりこみ、同図書館所蔵のタスマンの地図の複製が床一面にあしらわれたエントランス・ホールをぬけると、そこは天井の高い大ホールになっている。四方はすべて三層からなる書架で、本でびっしり埋め尽くされた様は見るからに図書館というにふさわしい迫力がある。こうした格好の欧州の図書館の大半が薄暗い雰囲気を持っているのに対し、こちらは大きな天窓から差し込む光が雲の動きによって増減し、南国オーストラリアならではの明るく開放的なムードをつくりあげている。


Mitchell Library 大ホール

大ホールは人の高さほどの仕切とガラスのドアとで二つに区切られ、手前は一般閲覧室、奥はマニュスクリプトならびに貴重書の閲覧室となっている。17年前にこの図書館を利用された中見氏によれば、利用に当たっては「2通」の紹介状が必要とのことであったが、現在は免許証などの、住所を確認できる英文の書類が2種類必要とのことである。私はパスポート(周知のごとく、日本のパスポートには末尾のおぼえ書き以外に住所の記載された欄はない)と日本の運転免許証、用意してきた二通の紹介状、そして先般受け取っていたミッチェル図書館写本部の司書氏からのE-mailのコピーで何とか勘弁してもらったが、外国人にとって「住所を確認できる二種類のドキュメント(英文)」はなかなか用意するのが大変なのではなかろうか。余計なトラブルを避けるためには日本の図書館からの紹介状などに住所も並記してもらうなどしてもらうよりほかにあるまい。ともあれ、応対に当たった司書女史は閲覧の際は鉛筆を用いること、コレクションの出版を考えている場合は担当者と相談すること、等の注意事項を伝えた後、パウチされた三年間有効の閲覧証を発行してくれた。

今後ミッチェル図書館を利用される方はあらかじめインターネットで同図書館のホームページ にアクセスし、最新の情報を得ておくと便利である。また、必要な書類などについてもE-mailで問い合わせることができる。



1997年のモリソン文書とその閲覧事情

同図書館にML.MSS.312の番号で登録されてあるモリソン文書の全容については前述の榎・中見両氏の紹介文を参照されたい。特に中見氏は一九七三年の整理完了後のモリソン文書を調査され、329を数える膨大なファイルからなる同文書の大枠の内容を紹介された。氏の作成された日記と書簡、主題別ファイルの各巻毎のリストは、当のミッチェル図書館では見ることができないものなので、きわめて貴重かつ有用である。

日記(Diaries; vol.2-27)、発表/未発表原稿類(Works for Publication; vol.28-34)、書簡(Correspondence; vol.35-115)、主題別ファイル(Subject Files; vol.116-264)、雑目(Miscellanea; vol.265-280)、新聞切り抜きおよび新聞(Newspaper Cuttings, Newspaper; vol.281-329)そして画像資料(Pictorial Materials; PXA201-214, PXD88, PX*D151-160)などからなるモリソン文書の収蔵状況は一九九七年夏の時点でも変わっていない。ただし、閲覧についてはマイクロ・フィルムに起こされた文書はすべてフィルムによる閲覧が原則となっている。オリジナルを見るためには別にcuratorに手紙を書き、許可を受ける必要があるとのことであった。マイクロは華文などの場合はときに天地が逆になっていることがあり、閲覧者は首に過度の負担を強いるか、あるいはマイクロを左右ひっくり返してかけ直して見なければならない。また英文にしても手書きのものに限らずオリジナルにあたって見たほうがはるかに効率的であることは言うまでもない。限られた時間で効率よく調査を進めるためにも、利用者は閲覧手続きの際にオリジナルの閲覧をまずcuratorに確認しておくべきであろう。

また、閲覧室ではラップトップのコンピュータを持ち込み利用することができるが、そのスペースはコードの長さやパワー・ポイントの数などから限りがある。机一つを占領してじっくり文書と取り組むとなるとせいぜい二ヵ所しかない。不安な向きは延長コードなり予備のバッテリーを携帯することをお勧めする。また、マイクロリーダーには専用のパワー・ポイントが一つしかないので、同時にコンピュータを使用したいときにはダブル・アダプターをカウンターから借りるか、持参する必要がある。

膨大なモリソン文書を見ていく場合、さしあたりその手引きとなるのがミッチェル図書館によって編集されたモリソン文書の目録Guide である。私はモリソンが新疆を訪れた1910年前後の書簡(vol.55-56)と関係するSubject File(vol.243-244)をまず精査し、関係ありそうな書簡を見つけてはその差出人名を控え、Guide のリストにあたってその人物のほかの手紙の所在を確認する、という段取りで仕事を進めていった。こうした作業を進めるうえでGuide はきわめて有用である。しかし、問題が無いわけではない。

中見氏も指摘しておられるように、Guide では発信人名がAuthorとしてアルファベット順に配列されており、誰の出した手紙がファイルのどこに配置されてあるかがわかるようになっている筈であるが、この"Author"がかなりのくせもので、厳密には発信人のみならず、モリソンがその人物にあてた手紙も少なからず含まれている。たとえばカシュガルの英国総領事をつとめたジョージ・マカートニー(Sir George Macartney 1867-1945)の場合、Guide には17通が紹介されているが、うち7通はモリソンからマカートニーにあてたタイプで打った手紙のコピーである。私が見た範囲ではほかの人物についても同様であり、"Author"ではなく「その手紙に関連した人物」と表現されるのがより正確であろう。Guide にはモリソンの項目があるので、閲覧者はまず個別の人物について"Author"と称されている項目にあたり、その書簡の日付と所在をモリソンの項目の書簡の日付と所在と対照することによって、その書簡がモリソンが受信したものであるか、送信したものであるかを知ることができる。もしもその書簡がモリソンの項目にエントリーされていれば、それはモリソンがその人物にあてた手紙(の写し・控え)であり、見当たらなければモリソンが受け取った手紙、と言うわけである。ただし、Subject File所収の書簡はGuide にエントリーされなかったものが多くあり、Correspondenceの中にも記載漏れがあるので閲覧者は注意の上にも注意が必要である。たとえば本願寺門主で西域探検で知られる大谷光瑞(18xx-19xx)の書簡 も、英文で書かれた書簡であるにもかかわらずGuide にはエントリーされていない。私は1910年以降の書簡をざっと見ているときに偶然これを見つけたのであるが、"VILLA NIRAKU(二楽荘)"の文字が押された洒落たレター・パッドでなければ見落とすところであった。Guide は便利であるが、その記載は完璧ではないこと、くれぐれも胆に命じておくべきであろう。



モリソンと新疆

中央アジアを経由してロンドンへむかうべく、モリソンが北京を出発したのは1910年1月15日のことである。西安を経由して甘粛に入り、粛州から玉門、星星峡、哈密から奇台、阜康を経て紅廟子(烏魯木斉)に入り、のち北西へ向かい、5月18日伊犂(Kuldja)に到着した。そこからムズ・ダバンを経由するルートをとって天山を越え、アクスゥを経てカシュガルに到着、英国領事マカートニー夫妻の出迎えを受け、10日ほどチニ・バーグ(駐カシュガル英国領事館)に滞在し、アライを経て国境を越え、予定よりもひと月早い6月10日にアンディジャンに到着。そこから鉄道でモスクワーサンクト・ペテルブルグを経て6月25日にロンドンに到着した。

モリソンのこのルートは綿密に計算されたもので、彼が専ら予定を記すのに用いたノート には実に詳細な旅程が記入されている。またモリソン文書中には、おそらくは清政府にあてたものと思われる旅行申請書の写し(英文) も収められており、そこには西中国の現状、特に通商ルート、教育事情を把握しタイムズ紙上で報告することが旅行の目的として明記されている。この旅行は、新疆をロンドンへ向かう単なる通過ルートとしてではなく観察の対象として意図的に選んだもので、この地域をどこまでもみてやろうというモリソンの積極的な意思のもと敢行された視察旅行であったと言うべきであろう。

北京からアンディジャンまでの3750マイル、175日に及ぶ大旅行の中で、モリソンの観察は各地域の運輸、経済、軍事、阿片問題、教育、工業、貿易、歴史、宗教、政治など、多岐にわたり、それは経験豊かなジャーナリストらしい、彼の正確な筆致で記述され逐一ロンドンに発送された。そしてそれは"Across China and Turkestan"と題して12回にわたってタイムズ紙に掲載された のであった。

英国の王立地理学会(The Royal Geographical Society)のKeltieが「経済、産業、そして社会の進歩を取り扱う人間の営みについての"Applied Geography"」の「重要なる成果」として賞賛の言葉を送った モリソンのこの旅行は、英国政府および英国国民に中国西北辺境、就中新疆の重要性を喚起する上で大きな役割を果たしたものと思われる。たとえば、カシュガル領事マカートニーの総領事昇格などはその顕著な例であり、モリソンは公式な通達のかなり前に、誇らしげに自分の手柄としてマカートニーに昇格を祝う手紙 を書き送っている。

旅行を終え、ロンドンから北京に帰ってもモリソンと新疆の縁は切れたわけでは無かった。彼に続いて新疆を旅行しようという友人には助言を惜しまなかったし、新疆にいるマカートニーやミショナリーの友人たちとの通信は続けられた。新疆で生起していた政治的な変動や諸外国の影響---パン・イスラム主義の動き、トルコ人の暗躍など---は常にモリソンの注目するところであった。中国の行末についての、「大英帝国主義者」としての彼の関心の上でも、モンゴル、チベットなどの他の地域の問題と同様に、新疆問題は常にモリソンの視野から外れることはなかったのである。

モリソンの観察は当時としては良質の、新疆に関する情報をふまえて、しかもジャーナリストとしての正確な分析をもって書かれている。しかもモリソンの手になるタイムズ紙の北京通信が、「極東の情勢に対する最も権威ある、最も信憑すべきものとして、欧米各国の間に重んぜられていたといわれる 」その影響力を考えるならば、その後の少なくとも英国の対新疆政策を考える上でモリソンの観察は必ず参照されるべきものとして、一層の注意をもって分析されるべきであろう。



モリソン文書中の新疆関連ファイル

以下にモリソン文書中の新疆に関連した資料をファイル別に紹介する。なにぶん限られた時間の中での調査であったため、万全なものではないことをあらかじめお断りしておく。


1. 日記
モリソンが新疆旅行を行なった1910年の日記は、大判のLetts's Rough Diaryに記された本体はML.Mss.312/18に、主として予定が書き込まれているThe Missionary Anglo-Chinese DiaryはML.Mss.312/27に収められている。ともにマイクロがつくられているため、マイクロによる閲覧が原則である。これらは1970年に榎氏がマイクロを将来されており、東洋文庫での閲覧が可能である。

榎、中見両氏が指摘しておられるように、モリソンの手書きの日記は独特の書き癖で書かれているため、俄に判読するのはなかなか難しい。前述のパールの本に若干日記を抜粋した部分があるのでそれと対照するか、あるいはML.Mss.312/29-34に収められているCapperによる1901年までの分の日記のタイプ原稿(東洋文庫にマイクロあり)と対照するかして練習するのがよかろう。


2. 書簡

モリソンが新疆を旅行した1910年前後の書簡が収められているのはCorrespondence(v.35-115)のなかのML.Mss.312/55-56であるが、これらに登場する、新疆に関連した人名をさらにGuide にあたり、他のファイルに収められた書簡を検索した結果、以下に挙げる数名の人物についての書簡を見つけだすことができた。アステリスク-*で示したものはモリソン発信の書簡である。

Hunter, G.W. (China Inland Mission, Urumchi)
55/77-80(1910/04/12), 55/105-108(1910/06/17), 58/97-99(1911/04/07)*, 200/209-212 (1910/11/29), 200/257-264(1911/05/21), 243/75(1910/04/25), 243/83-86(1910/05/21).

Macartney, Sir George (British Consul General, Kashgar)
55/211-216(1910/12/08), 55/271-274(1910/08/25), 56/161(1910/10/19)*, 56/405-408(1910/02/12), 58/17-22(1911/02/04), 58/235-237(1911/04/21)*, 58/527-530(1911/25/05), 62/49(1911/06/11), 65/281-284(1912/11/06)*, 70/31-34(1912/06/10), 71/24(1912/10/12)*, 74/561-562(1913/06/14), 77/53(1913/08/11), 79/109(1914/11/03)*, 87/185-188(1916/03/24), 89/129-131(1916/09/18)*, 243/105(1910/07/05)*.

Petersen,V.(China Imperial Post Office, Urumchi)
55/113-115(1910/07/05)*, 57/69(1911/01/18), 57/431-433(1911/03/20), 57/455(1911/03/28)*, 57/477(1911/03/30), 72/41c-43(1913/01/06), 72/305-313(1913/01/28), 231/423-425(1916/02/14)*, 243/5-8(1909/09/02), 243/73(1910/04/12).

Raemdenck, Rev.(Belgium Scht Mission, Kuldja)
57/73-79(1911/01/09), 58/59-61(1911/04/05)*, 58/547(1911/03/26)*, 73/145a-g(1913/03/19), 78/229-238(1914/01/25), 79/53-55(1914/03/05)*.

Tönquist, John (Swedish Mission, Kashgar)
55/230-231(1910/08/16), 56/293(1910/11/06), 58/67-069(1911/04/05)*, 102/259-270(1919/03/08), 243/103(1910/07/05)*.

ただし、これらのCorrespondenceに収められた書簡の大半は中見氏も指摘しておられるように私信の類が多く、比較的重要なものは次の部分で紹介するSubject Fileに収められているようである。


3. 主題別ファイル

榎氏によれば、整理前のモリソン文書には"Kashge[a?]aria"というタイトルの付されたファイルが存在していたようである が、整理後のSubject Fileではこの名前は見られない。Guide で書簡の索引から見当をつけて探して見たところ、vol.228, 243, 244の3つのファイルが新疆関連の情報を多く収めていることが分かった。しかしそのすべてが整理前の「カシュガリア」のファイルなのかどうかということは、今となっては分からない。

vol.228. "BRIGADIER GENERAL GEORGE PEREIRA 1908-1914"はモリソンの北京での友人であるPereira少佐 とAnderson中佐の新疆狩猟旅行(1911-12)関連の書簡類が中心に収められたファイルである。二人は1911年4月にシベリアのオムスクを出発、新疆北辺のタルバガタイに至り、そこからクルジャ、アクス、ウシュトゥルファンを経てカシュガルに到着した。そこからAndersonはアンディジャン経由で帰国したが、Pereiraはさらに単独で旅行を続け、アクスへとってかえし、ウルムチ、蘭州そして成都、雲南まで、実に7,000マイルにおよぶ大旅行を行ったものである。モリソンはその旅行の当初から彼等のために便宜をはかり、各地の友人たちに予め彼等を紹介する書簡を送り、さらに彼等に詳しい新疆旅行の注意書きまで書き与えている。この注意書きは新疆旅行の中で二人が会うべき人物、モリソンが二人の報告に期待する見聞の留意点などが書かれており、モリソンの人物評価や、関心の有り様などが伺われる興味深い資料である。

Pereiraの書簡(一部はモリソンによってタイプでリライトされている)はいかにも軍人らしく、1911年当時の新疆における兵員の配置や軍備、行政官の年齢などに詳しく、また、イリにおける皮革工場やトルコ人イマームの活動等についても貴重な証言が見られる。特筆すべきは1911年暮れ、辛亥革命の影響のもと新疆(イリ、ウルムチ)で発生した蜂起の経過についても、現地に居合わせた目撃者として、Pereiraは自身の見聞とイリの友人から得た情報などをモリソンに詳しく書き送っており、その内容は歴史研究上一見の価値があるといえる。

vol.243 RUSSIAN VISIT AND PAPERS, 1909-1910.およびvol.244 NOTES ON RUSSIAN MATTERS.はいずれも1910年のモリソンの新疆旅行に関するファイルで、ミッチェル図書館の付したタイトルは適当とは言い難い。vol.243は1910年にモリソンが新疆を旅行した際にかわした書簡、紹介状、証明書、メモ、そしてタイムズ紙に掲載された旅行記のタイプ原稿(カーボンコピー)などからなる。一方、vol.244はモリソンのノートで、書物、新聞、ミリタリー・レポートそして友人たちから寄せられた情報など、新疆旅行に関連した情報が書き抜かれてある。これは新疆を訪れるにあたり作成された、モリソンの事前調査の成果であり、実際に携行し旅行ガイドがわりに利用されたものではないかと推察される。

ML.Mss.312/228 Subject File BRIGADIER GENERAL GEORGE PEREIRA 1908-1914
[アステリスク-*はモリソンがリライトしたタイプ原稿である]

3-65 "Journey in East Central China." By Lt.Colonel G.Pereira, Grenadier Guards. 8th December 1907 to 3rd April 1908.
67-79 Mutiny at An'Ch'ing Fu (Capitol of An-hui Province)" by Pereira.
82-84 Letter from Pereira, 1910/01/03 from Rome.
85 Letter from Pereira, 1911/03/30
89-97 "Memorundam for Colonel Anderson and Major Pereira." by Morrison.
99-103 Letter from Pereira(I), 1911/04/21 from Omsk, Siberia.*
105-111 Letter from Anderson, 1911/05/02 from "On the R.IRTISH, on the way to Semipolotinsk"*
113 Letter to Pereira, 1911/05/06
115-123 Letter to Anderson, 1911/05/26 and 30.
125-126 Letter from Cecil Pereira(brother of George), 1911/05/30 from London.
129a-159 Letter from Pereira(II), 1911/07/03-20 from Tarbaghatai.*
161-175 Letter from Pereira(III), 1911/08/07 from Suidun.*
177-185 Letter from Pereira(IV), 1911/08/19 from Karajun Plateau, 123 1/4 miles from Kuldja.*
187 Letter to Pereira, 1911/08/22.
189 Letter from Cecil Pereira, 1911/09/09 from London.
193 Letter to Pereira, 1911/09/11.
195-196 Letter from Cecil Pereira, 1911/09/26 from London.
199-203 Letter from Pereira(V), 1911/10/01 from Chaytender Valley.*
205 Letter from Cecil Pereira, 1911/10/20 from London.
209-225 Letter from Pereira(VI), 1911/11/20 from "Kirghiz Yurta, Sum-tush. 3 days W. of Uch-Turfan. (13 days from Kashgar)".*
227-234 Letter from Anderson, 1911/12/10 from Kashgar. (vide pp.235-247)
235-247 Letter from Anderson, 1911/12/10 from Kashgar. (typed copy of pp.227-234)
249 Letter to Pereira, 1912/01/03.
251-252 Letter from Cecil Pereira, 1912/01/23 from London.
255-261 Letter from Pereira(VII), 1912/02/03 from Urumchi.*
263-267 Letter from Pereira(VIII), 1912/02/08 from Urumchi.*
269 Letter from Pereira(XI), 1912/03/18 from Cho-ni, S.W.Kan-su.
271 Letter to Pereira, 1912/03/12.
273 Letter from Cecil Pereira, 1912/03/30 from London.
277-283 Letter from Pereira(IX), 1912/04/17 from Lan-chou-fu.*
285-295 Letter from Pereira, 1912/04/18-19 from Lanchou fu.*
297-301 Letter from Pereira, 1912/10/24 from Kuei-yunf Fu, Kuei-chou.
303 Letter to Pereira, 1912/04/20.
305a-309 Letter from G.Pereira to Andrew, 1912/10-18.*
311 Letter to Pereira, 1912/05/14.
313-335 "A VISIT TO LAPRANG MONASTERY, S.W.KAN-SU, N.W.CHINA"by Pereira.
337-338 Letter from Cecil Pereira, 1912/05/31 from London.
341 Letter from Cecil Pereira, 1912/07/01 from London.
343-344 Letter from Cecil Pereira, 1912/08/17 from London.
347 Letter from Pereira
351-352 Letter from Pereira, 19xx/10/18 from London.
353 Telegraph from Pereira, 1912/04/19 from Lanchoufu.
355-358 Letter from Pereira(XII), 1912/09/22 from Yunnanfu, Yunnan.
359-365 Letter from Pereira, 1912/11/05 from Chen-yuan Fu.
367 Letter from Pereira, 1912/11/22.
369 Letter from Cecil Pereira, 1912/12/07 from London.
371-374 Letter from Pereira, 1913/04/26 from London.
375 Letter from Pereira, 1913/06/13 from London.
377 Letter to Pereira, 1913/08/11.
379-382 Letter from Pereira, 1913/12/26 from Buitenzorq, Java.
383-385 Letter to Pereira, 1914/03/05
387 Letter to Pereira, 1914/04/23.
389-392 Letter from Pereira, 1914/05/09 from London.
393-395 Letter from Pereira, 1914/07/27 from London.
397-399 Letter from Pereira, 1914/08/04 from London.


ML.Mss.312/243 Subject File RUSSIAN VISIT AND PAPERS, 1909-1910.

1b-3 "Memorandum on the Proposed Journey to the New Dominion."
5-8 Letter from Petersen, 1909/09/02
21-23 Introductory letter of Morrison from Frederick McCormick(Peking Correspondent of The Associated Press, USA) to General Kondratovich, Turkestan. dated on 1912/01/02
73 Letter from Petersen, Tihua
75 Letter from Hunter, 1910/04/25 from Fukintang?
79 Letter from Hoogers, Rev. 1910/04/27
83-86 Letter from Hunter, 1910/05/21 from Chugchak
87 Invitation towedding ceremony from Russian Consulate Genaral.
91-93 Letter from Miss Sylvia Carlos, 1910/06/25 at Kashgar
95 Invitation to the wedding of Miss Carlos, dated 1910/06/26 at Kashgar
101 Letter to Sokow, Serge
103 Letter to Törnquist, John
105 Letter to Macartney from St.Petersburg dated 5/18 July, 1910
115-117 Letter from Hoogers, Rev.
143 English Translation of Morrison's introduction written by Tuang Fang to the Viceroy of Shensi & Kansu, Ch'ang-käng
145 English Translation of Morrison's introduction written by Tuang Fang to the Governor of Shansi, En-Shou.
147 English Translation of Morrison's introduction written by Tuang Fang to the Governor of Hsin-chiang, Lien Kuei.
149 Russian document, issued by Russian Consulate General at Kashghar
151 OBQZATEL:STVO
205-405 "Across China and Turkestan"



ML.Mss.312/244 Sunject File. NOTES ON RUSSIAN MATTERS.


[1b-639 モリソン手書きの新疆旅行に関するノート。若干の新聞切り抜き等も含まれている。]

1b Notes
3 Suchou
5 Kanchow
7-11 Visits in China (descriptions on Matthiew Ricci, Goez, )
13-31 Suchow, officials, etc.
33-57 Hami
59 Train fares
61-63 Khaifäng-fu
65-67 Railways
69 typed memo
75 Kokonor
77-83 Notes
85 Hsin Chiang(short-list of Government officers ?)
87 "Mohammed Azam Khan, a trader? of Yarkand. Mulla Sabir Khan. Aksakal, Kashgar"
89-93 Notes on Hsin-chiang.
95 Chugchak
97 Kashgar city
99 Kashgar/ Russian guard
101-105 Kashgar / Hindu Aksakal--etc.
107-133 Notes on India-Turkestan borderland
135-137 Short-list of goverment officials at Kashgar.
139-165 Notes on the frontier trades at the India-Turkestan borderland
167-187 Notes on Xinjiang
189 "To read" (book list on Xnjiang) Yakoob Beg by Boulger, Mission of Sir Douglas Forsyth, Shaw, Bower, Kuropatkin...etc.
191 Trader Routes
193-197 Kashgaria
199-201 Resources
203-217 Note from some book(?) on Xinjiang
219 "Kuldja vide Times Aug 13 1900
221-223 Note from Hunter's letter?
225-229 Newspaper Cutting, [TIENSIN, SATURDAY, SEPT.4, 1909]"From Peking to Kashgar (By Don C.Sowers, in Charge of the Washington Magnetic Expedition " Kashgar, Sinkiang, July 30, 1909.
231-255 Tihuafu(Urumchi)
257-259 Duke Lan
261-265 Tihuafu(Hunter)
267-299 St.Petersburg Treaty
301-303 Kuldja Treaty
303-305 Peking Treaty
307-309 T.D.Forsyth's Treaty of Commerce with Syid Mahommed Khan Toorah.
311 General von Kaufmann's Treaty with Yakub Beg.
313-331 Some notes on India-Turkestan-Russia borderland.
333-335 Short list of government officials at Kansu and Shanshi
337-345 Lanchow
347-369 Some notes on Central Asia
371-427 Hsianfu
429 Kaifengfu
431-433 Van Dijk
435-451 Springaerd, Paul
453 Lanchow
455 Van Dijk
457 Lanchow
459 Dalai Lama
461-509 Lanchow
511 Hsianfu
513-515 Routes
517-527 Ili (Pere Hoogers)
529-531 Ili (Steeneman)
533-611 Ili/Kuldja/Hsin-chang
613 Letter from Raemdenck, Rev. 1910/05/26 from Kuldja?
615-619 Ili
621-624 Yi-li bai hua bao /1914/05/14
625-631 Mayers (of Ili?)
633-635 La Chine Occidentale
637 Begs in Kashgaria
639 Hami
---------------------------------------------------------------------------------------------------------------
641&613 Notes on Liu Chin-t'ang(typed)
645-655 Note on journey in Xinjiang, 1907/03/10
657-701 typed paper on Turkestan, 1907 ( selected from the Military report on Kashgaria 1907)
その内容は以下の通りである:Administrative System (657-663), Deserts and Oases(665-667) quoted from p.48 (of Military Report?), "The inhabitants of the country..."(669-691)quoted from p.87, Religions(p.691), Languages(691-693), "Since 1877 Kashgaria has remained under Chinese rule.."(693-695) quoted from p.177, POLITICAL.-Internal Relations(695-697), External Relations(697-701) quoted from p.195.


Subject Fileにはこれら三つのファイルの他にも新疆関係の資料が収められているものが若干ある。ML.Mss.312/137X-138 はそのほとんどが華語文書であるが、光緒10年9月に新疆で出された境外婚姻に関する布告の写し(vol.137x/Hem39、大判)、モリソンが新疆旅行の道中、ハミの地元有力者から得たチャガタイ・トルコ語の紹介状(vol.138, item 1, p.47 recto-verso)、ムズ・ダバン越えにあたりウイグル人のキャラバンと交した契約書(vol.138, item 1, pp.158-159)、そして当時ウルムチに流されていた戴瀾からの手紙(vol.138, item 1, pp.61-67)、北京の日本大使館、本多熊太郎書記官から伊犂の林出賢次郎にあてたモリソンの和文紹介状(vol.138, item 1, pp.117-118)などが見い出せる。



4. 雑目

雑目(micellanea)のなかにはモリソンが交わりを持った人物のvisiting card(名刺類)も含まれており、五つのbox(vol.272-275)と二つのファイル(vol. 275, 276)からなる。前者はヨーロッパ式の、我々が現在使用している名刺に近いスタイルのものであり、百枚程度を丁寧に糊で綴じたものを1 itemとして、その人物の国籍別に分類して、15 item程度をひとつのboxに収めてある。後者は大判の赤い紙に漢字の名前を墨書した(ないしは印刷した)中国式のものである。

この名刺はモリソンの交友関係の外郭、すなわち手紙を交すことはなかったが確かに最低一度は交流を持った人々、を捉える上では有益であろう。たとえば日本人の名刺類もここでは実に7 items程あるが、大隈重信、後藤新平、石田幹之介等々、交流をもったことが知られている人物以外にも実に多くの人物とモリソンが交流をもったことが知られる。たとえば私の関心などから言えば、当時新疆と関わりをもった日本人をモリソンは多く知っていた。西徳二郎とは義和団事件いらいの知り合いであったし、林出賢次郎とは新疆旅行中にクルジャで会っているが、加えて福島安正、大谷光瑞、渡辺哲信、橘瑞超といった人物の名刺がみられ、モリソンと交流のあったことが知られるのである。


ML.Mss.312/272-276 Micellanea: Visiting Cards.

272 1-16
273 17-32
274 33-49
275 50-72
276 Chinese Visiting Cards
277 Chinese Visiting Cards

Class item no.
Australia 1
Austria-Hungary 2
Belgium 3
Canada 4
China(A-Ti) 5-8
China(To-Z) 9-13
China-Peking(A-H) 14-16
China-Peking(I-Y) 17-21
China-Shanghai 22
China-Tienshin 23
France 24-26
Germany 27-28
Great Britain(A-COA) 29-32
Great Britain (Coc-Lyv) 33-40
Great Britain(M-Y) 41-49
Italy 50
Japan 51-57
Netherlands 58
Russia 59-60
Scandinavia-Denmark 61
-Sweden, Norway & Finland 62
Siam 63
Spain & Portugal 64
U.S.A. 65-69
Missionary & Clergy 70-72


5. 写真類

モリソンが各地で撮影した写真類である。新疆旅行中に撮影したと思われるものがPXA.202-209に多数収められているが、その多くは説明書きがないため、そのアイデンティファイは困難である。以下、参考までに全写真のリストを挙げる。

PXA 202/1 Contents List(List of Portlaits)
PXA 202/2 China
PXA 203-206 China
PXA 207 China-Cities and towns
PXA 208 China, Chinese Revolution and Boxer Rebellion.
PXA 209 Morrison's Journey
PXA 210 Japan and Russia
PXA 211 Hong Kong, Thailand, Cambodia, Vietnam, Columbo, Suez, Madrid.
PXA 212 Europe, Great Britain, Australia, New Zealand, U.S., Canada,
PXA 213 Switzerland
PXA 214 ILLUSTRATION OF BIRDS by E.Neale and others.
PXD 088 Duplicate photographs of people, regidences, rooftops, temples and landscapes in China.
PX*D 151 Asia
PX*D 152 Morrison Library, Peking
PX*D 153-1,2. Portlaits: Morrison and Family
PX*D 154 Portraits: Identified European
PX*D 155 Portraits: Unidentified European
PX*D 156 Portraits: Identified Asian
PX*D 157 Portraits: Unidentified Asian
PX*D 158 COLLECTION OF CARTOONS by Phil May, Spy and Ape.
PX*D 159 ORIGINAL DRAWINGS of China, Hong Kong, Morrison and the Chinese People.
PX*D 160-1-2 CHINESE ENGRAVINGS, PRINTS & OTHER PRINTED ITEMS.




結びにかえて

ミッチェル図書館の概要を知るために有益な一書としてはAnne Robertson, Treasures of the State Library of New South Wales: the Australiana Collections (Sydney, 1988)がある。著者Robertson女史は三十余年州立図書館に奉職し、うち8年をミッチェル図書館のManuscript Librarianとして勤務した図書館人で、同図書館の基礎を築いた二人の人物ーDavid Scott Mitchell(1836-1907)とSir William Dixson(1870-1952) の生い立ちと業績、そして二人の名がつけられた二つの図書館の沿革、主要コレクションの内容を丁寧な筆致で紹介している。

しかしながら、194ページにおよぶボリュームの同書でも、モリソンについては僅かに4行、女流小説家Miles Franklin(1879-1954)の記述に続けて「ジョージ・モリソン、医師、旅行家にしてジャーナリスト、1897年北京のThe Times駐在通信員、1919-20年(ママ)中国総統の政治顧問。彼もまた彼の書簡類を図書館に遺贈することを望んだ」とあるだけで、329ファイルに及ぶ膨大な歴史的に重要な書簡類については一言も紹介されていない。こうした取り扱いを目のあたりにすると、私も中見氏同様、「地下のモリソンも哀れ」と感じざるを得ない。

しかしながら、それでも以前に比べ、モリソンとモリソン文書に対する評価と関心とは確実に高まってきているようである。私が閲覧しているときにもモリソン文書を請求しているほかの利用者を見かけたし、モリソン文書を利用した研究、モリソンをあつかった著作も細々とではあるが刊行され続けている。著名なものとしては、ウッドハウス暎子女史の著作 、シーグレーブの『ドラゴン・レディ』 、そして最近のものとしては、豪州人である著者がモリソンの中国ービルマ旅行の足跡を実際にたどったThe Five Foot Road などがある。また同州立図書館ではライブラリィ・ソサイアティ主催によるプログラム「歴史シリーズ」のひとつとしてモリソンがとりあげられ、今年の6月11日にアーキヴィストのWarwick Hirst氏を招いて講演会が開かれた 。

モリソン文書は良好な保存状態のもと、現在も訪れるものを待ち続けている。そこには今は彼岸へ去った一時代が凝縮されて見事に保存されており、ファイルを開いた者はいつでもその世界と再会がかなうのである。モリソンの生きた時代を扱う者、すべからくシドニーを訪れるべし。

【付記】
シドニーのミッチェル図書館におけるモリソン文書の存在をご教示下さったのは青山学院(東洋史)の先輩である中善寺慎氏(東洋文庫図書部)であった。氏には榎、中見両氏の紹介文の掲載された『東洋文庫書報』を貸していただいたばかりか、本文の執筆も勧めていただいた。ここに記して深甚の感謝を表わしたい。

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